はじめに
今日は、聖書の中に書かれている、「試練」について解説します。
だれでも、試練にはできれば遭いたくないというのが正直な気持ちですよね。
一方で、試練に立ち向かうことをテーマにしたドラマや映画は作品は意外に多く作られています。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」というセリフが有名になったドラマがありました。
きっとドラマを見た方は、主人公が様々な試練に直面し苦しみながらも解決の道を見出していく姿に感動されたでしょう。
そして、ご自身も試練に向き合って取り組めば、きっと解決できるというメッセージを受けとられたと思います。
でも、自分がいざ試練に出会った時にどのように取り組めばいいのかは、なかなか思いつかないですよね。
この記事を読めば、聖書に書かれた試練の理由がわかるようになり、どのように試練から脱出することができるのかを知ることが出来ます。
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聖書は試練について何と言っているのか。
結論を一言でいうと、 試練とは正しい人生へと導かれるチャンス です。
試練に遭う理由はありますか?
試練は高ぶる思いを持っていることを人に気が付かせ、自分は不完全な存在だと知らせます。
イソップ物語にこのような短文があります。
油をたくさん吸ったランプが、ある夜にみんなに言いました。
イソップ物語(高慢なランプ)
「わたしは明けの明星よりも明るいし、わたしの輝きはこの世のどんなものよりも秀でている」
ところが、そこに突然吹いた一陣の風が、ランプの灯を消してしまいました。
男が来て、ランプに火をつけると言いました。
「さあ、ランプよ、また照らしなさい。そして黙っていなさい!星の光は決して消えることはないのだから」
この物語のランプは、他の人に比べて何かができると高慢になっている人を象徴しています。ところが、人生に吹く嵐、すなわち試練が一瞬にしてその輝きは消し去ってしまいます。こうして人は、自分が不完全なもだと気づかされるのです。
ランプが造られた目的は暗闇の中で周りを照らすことで、周りを助けることで、自分の能力をひけらかすことではありません。私たちに与えられている能力も自分を気持ちよくさせるよりも他人の為に使うことにより、より価値があるものになります。
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
聖書(1ペテロ4:10)
試練の後に何が残りますか?
京セラなど多くの企業で経営者としての手腕を発揮されている稲盛和夫さんは「試練に遭ったときには、むしろ幸運だと思え」と言っています。試練の中から、今まで気が付かなかった良いものやチャンスがあるからです。
脱出の道が備えられている
先ほどの「高慢なランプ」は火が消えてしまいましたが、それだけでは終わっていません。暗闇の中をやって来た男に注目してください。
なんと、ランプは再び、周りを照らすという本来の役目を果たすことができるようにされました。
私たちの人生は、ただ試練だけで終わるのではありません。試練を通り超えて、再び光り輝くことが出来るようにして下さる方がおられるのです。
聖書にはこのように記されています。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
聖書(1コリント10:13)
私たちが経験する試練はつらいものです。しかし聖書はその試練も「人の知らないものではありません」と記しています。
すなわち、十字架の死というだれも経験することのない大きな試練を通られたイエス・キリストが、私たちの気持ちや願いをよく知って下さっているのです。
しかも、ただ知っておられるだけでなく、試練の重荷につぶれてしまうことがないように、神様は脱出の道も備えると約束をされました。
ランプに火をともした男のモチーフは神様です。暗闇の中を突っ切って、神様は私たちのそばに来て下さいます。
人生をよりよい所へと導く
聖書の中にヨセフというエジプトの宰相になったユダヤ人がいます。彼は幼い時に兄弟たちに憎まれ、エジプトに行く商人に奴隷として売られてしまうという、大きな試練に遭います。
しかし、ヨセフが宰相になった時に、飢饉によって食料難に直面した兄弟たちが食べ物を求めてヨセフのところに来た時にヨセフが語った言葉はこうです。
あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
聖書(創世記50:20)
彼の試練には、人には思いもつかないような計画がありました。神様が彼を良いことの為に用いられたというのです。
試練の中にも良いこと、チャンスがあります。
試練の時にどのようにすればよいですか?
聖書は神様への信仰に踏みとどまるように勧めています。
ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。
聖書(コロサイ1:23)
信仰とは、聖書の神様を信頼することです。そして信仰の源泉は、不完全な私たちをも愛する愛と、十字架上での私たちのための赦しを完成されたイエスキリストにあります。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。
聖書(ヘブル12:2)
試練にある時、そばに神様が寄り添ってくださいます。そして、試練の中で神様が私たちのことをどのように思ってくださるのかは、イエス・キリストの言葉、すなわち聖書に焦点を合わせることによって、必然的にわかるようになります。
まとめ
結論を一言でいうと、 試練とは正しい人生へと導かれるチャンス です。
1.試練は人に不完全な自分を気づかせる
2.高慢なランプは消える
3.神により再び火がともされる
4.試練は耐えうるものである
5.試練に遭う時、イエス・キリストに焦点を合わせる
参考:チェーン式新改訳聖書(いのちのことば社)
聖書辞典(いのちのことば社)
痛むとき、神はどこにいるのか-涙の跡をたずねてー(フィリップ・ヤンシー)
新聖書註解旧約1(いのちのことば者)