アフリカの奥地でたくさんの教会を開拓していた女性宣教師がいました。
しかし、ある時、長男が飛行機墜落事故で亡くなりました。
神学校で学ぶために外国に旅たった直後、21歳でした。
胸がつぶれるような痛みが襲ってきましたが、忙しく働くことでその悲しみをまぎらわしていました。
しかし、胃と胆嚢にポリープができて、食べるたびに嘔吐し、パニック障害の症状まで現れたので、急いで帰国しました。
教会のいやしのプログラムに参加し、赦しについての講義を聞いている最中、心の中で神への恨みが湧き上がりました。
「主のしもべとなって国々に福音を伝える働き人となろうとしていた息子を、なぜ連れて行かれたのですか。私の息子が乗った飛行機が墜落するとき、主はどこにおられたのですか」
神様のために熱心に働いたのに、理解できない悲劇が起こるとき、神に失望し、神がおられないと感じることがあります。
聖書に出てくるエリヤもそうでした。
祈ると雨が降らなくさせたり、天から火を下らせて、850人のバアルとアシェラの預言者たちに勝利したりと、神の力を目に見える形で表した預言者でした。
しかし、その後、当時のイスラエルの王アハブの妻であるイゼベルに命を狙われ、荒野に逃げて、うつ状態になりました。
神への怒りをぶつけるエリヤに神はご自身を表します。
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
聖書(1列王記19:11)
これまで数々の奇蹟を経験したエリヤだったので、今回も激しい大風と地震と火があるたびに神様が何かをしてくださることを期待しました。
しかし、神はそこにはおられませんでした。
神は意外にもかすかな細い声で語られました。
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。
聖書(1列王記19:12)
これは何を表しているのでしょうか?
神の力は、奇蹟と不思議なわざ自体ではなく、みことばにあることを表しているのです。
私たちが一生懸命働く時、祈りがきかれたとき、目に見える奇跡や成果が出た時、私たちは「神がともにおられる」と感じます。
人生に良いことが起きた時、神がおられると感じ、人生に悲劇が起きた時、神がおられないと感じます。
冒頭の女性の宣教師は、神への怒りを口にしながら、悲しみを注ぎ出していると、神の声が心の中に響いてくることを感じました。
「あなたの心を知っている。わたしも自分の息子をあなたがたのために差し出した」
このかすかな細い声を聞いたその瞬間、その宣教師は、これまで自分を苦しめてきた心の痛みとからだの苦痛が、一瞬にして消え去るのを経験しました。
それだけではなく、自分の家族への神のご計画があることを受け入れられるようになりました。
そして、起きて食事を取り始め、再び立ち上がる力を受けたのです。
みなさん、大切なのは、出来事なのどの現象や起きた結果ではありません。
神のことばです。
あなたの心に問いかける神のかすかな声を聞いてください。
そうすれば、あなたの人生に力が回復します。神の計画を悟ることができます。あなたは、再び立ち上がることができるのです。