人間には、危険やストレスに対して「恐れ」や「不安」を生じさせる機能が備わっています。
例えば、ライオンに襲われた時、人間の身体には戦うか逃げるか反応(fight-or-flight response)が起こり、交感神経系が刺激され、目が冴え、脈拍や血圧が上がり、戦ったり逃げるのに有利なモードになります。
しかし、現代社会は、あまりにも多くの情報に溢れていて、仕事で求められるプレッシャー、ストレスが多く、毎日、交感神経系が優位になっていることもあります。
その場合、自律神経のバランスが壊れて、不眠になったり、食欲が出なくなったり、場合によってはうつ病になってしまったりします。
聖書は、敵に囲まれている超ストレス状況であっても、神は安心と喜びを与えられると言っています。
私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
聖書(詩篇23:5)
ダビデの時代は戦いが多く、彼はいつもに敵に囲まれていました。
彼にとっては、毎日が「戦うか逃げるか」のストレスにさらされていたのです。
しかし、彼はもの二つの驚くべき告白をします。
①神は敵の前で食事を与える
②神は頭に香油を注がれる
①神は敵の前で食事を与えるとは、神による特別な守りを表現しています。
中東の遊牧者たちにとって、荒野にある天幕は、天幕の主人よる安全を保証するものでした
天幕の主人が好意的であれば、敵から逃げている状況でも、食事が出来るほど安全な場所が確保されるのです。
つまり、ダビデにとって、神様こそ、自分を天幕でかくまい、いつでも、安心して食事できるほどの守りを与えられる方だということです。
②神は頭に香油を注がれるとは、王になるための任職の儀式の油注ぎではなく、喜びで溢れることの象徴です。
それは、「杯があふれているほど豊かなもてなしを受けている様子を示します。
また「杯」は「人生」を意味するので、ダビデは自分の人生は、外的な状況や敵に全く左右されないほど、守りと喜びで満たされていると言っているのです。
聖書にはこのように圧倒的に敵から守られる出来事が多数出てきます。
モーセは、幾度もエジプトの王ファラオの弾圧を受けていました。しかし、神様は紅海を分けて、モーセとイスラエルの民を奇跡的に助け出されました。
ダニエルは、バビロン王国で迫害を受けました。しかし、ライオンのおりの中に一晩いれられても、神様が彼を守ったので死にませんでした。
エリヤは、バアルの偶像礼拝者450人に殺されるところでした。神様が火を降らし、圧倒的な勝利を手にしました。
勝利の後には、いつも神への喜びと感謝が溢れました。
では、私たちにとって敵とは何でしょうか。
人生のストレスやプレッシャーかもしれません。
私たちを誘惑するサタンや悪霊かもしれません。
過去の失敗からくる恐れ。将来の不安かもしれません。
しかし、神さまがともにいるとき、どのような状況も私たちに危害を加えることはできません。
だからこそ、私たちに食事を整え、喜びの油を心に注いでくださる神様がいる天幕に逃げ込む必要があります。
どのように、神の天幕に逃げ込むのか?
「神様、助けてください」と祈るのです。
そして、神がどういうお方であるかを宣言するのです。