良い神が万物を作ったというなら、なぜ神は悪も一緒に造ったのですか? 良い神なら悪は作らないはずだし、もし悪の存在を許したのなら慈悲心が無いのでは?「なぜ神は悪を造ったのか?」

この記事は約7分で読めます。

今日は、良い神が万物を作ったというなら、なぜ神は悪も一緒に造ったのですか? 
良い神なら悪は作らないはずだし、もし悪の存在を許したのなら慈悲心が無いのでは?
「なぜ神は悪を造ったのか?」という疑問について、
聖書にどのように書かれているのか説明していきます。

このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、
普段はなかなか聞きにくい内容…等について、
札幌ガーデンチャーチの洗礼者第一号の、吉田こうきさんから
ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。

この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします!

どうして神様は悪を造ったの?

こうき
こうき

今回の質問です。

聖書では、『神様が万物を造った』と書かれてますが

なぜ神さまは悪も一緒に造ったんですか?

という疑問がネットに書かれていて

僕も何でかな?と思っています。

良い神さまだったら、悪は造らないはずだし

もし悪の存在を神さまが許しているんだとしたら

それって良い神様では無いのでは?

と考えてみたんですが、答えは分かりませんでした。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

今も答えは分からないですか?

こうき
こうき

はい、今も分からないです!

ゆうき牧師
ゆうき牧師

僕からの結論は「分かりません」

聖書に書かれていないので、分かりません

こうき
こうき

え、ゆうき牧師でも分からないんですか!?

ゆうき牧師
ゆうき牧師

分からないです。

僕は韓国の大学院で

クリスチャン哲学フィロソフィーという

学術的な部分も学んできました。

今まで、とても頭のいい人たちがこういう議論をしてきたんです。

たくさんの論文も読んできました。

結論は無い、分かんないんです。

でも少し解説してきたいと思います。

①「悪を消す=最後の審判が来てしまう」という考え方

ゆうき牧師
ゆうき牧師

聖書の読み方として、ユダヤ人の読み方って

非常に参考になるんです。

ユダヤ人の聖書理解は『全てのものは神によって造られた』

という考えがあります。


『全てのものは神によって造られた』という彼らの考えに基づくと

悪も、神が造ったと考えられますね。


しかし、今回の質問のように

「悪を造る神は、善の性質に矛盾するのでは?」

という問題が出てきます。


悪を造って、人を誘惑してしまうなら悪はいらないはず。

それは善じゃないという考えです。

でも、これは哲学でも分からないし

そもそも悪がどこから来たのか?ということも

僕もたくさん勉強したけど、分からないそうです。

学者によって変わると思いますが、

僕はひとつの答えは見いだせなかった。

もっと言えば、

「なぜ神は今、悪魔・サタンを野放しにしているのか?」

これについてもたくさんの議論があります。

サタンを、罪を、最終的に

ストップさせる時は最後の時だから

今サタンをストップさせてしまうと

僕らも終わり、世の終わりが来るみたいな考え方もあります。

こうき
こうき

みんな消えるってことですか?

ゆうき牧師
ゆうき牧師

消えるというか、

もう最後の審判に行ってしまうってことです。

聖書に書いていますが

まだ1人でも救われる人のために

イエスさまが最後の再臨を伸ばしている、

みたいな箇所もペテロの手紙であるんです。

ここを深堀すると、また話が逸れて行くので・・・

次に二つ目。

②「神様が人間に選択肢を与えた」という考え方

ゆうき牧師
ゆうき牧師

悪がないと自由がないっていう

考え方もあるんですよ。

こうき
こうき

え? どういうことですか?

ゆうき牧師
ゆうき牧師

闇があるから光がある

対照のものがないと分からないということです。

白があるから黒があって

闇があるから光がある。

闇がなければ光って存在が分からないですよね。

悪があるから善がある

悪があるから善が見やすくなる、対比できる、理解できるという感じですね。

自由意志の問題なんですが、

悪を選ぶ選択肢がないと

本当の意味で自由とは言えないという論議もあります。

例えば、選択肢が1個って自由だと思いますか?

こうき
こうき

いいえ、それは自由とは言えないと思います。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

それって、選んでないですよね。

人間に自由意志があるのは、

神様は自由を与える方だからです。


神様は、絶対悪を行わないけれど、

アダムとエバを造った時に、造ろうと思えば、ロボットとして造れたんです。


動物は人間のしつけによって、言うことを聞くようにもなりますが

人間って動物と違うんですよね。


神に似せて造られているということは、

神様は限りなく自由に選択できるように人間を造ったと思うんです。


アダムで言うならば

「全部好きなことしていいよ、でも私の命令を守りなさい。

あそこにある木の実だけは食べてはいけません」

この時点で、もう選択肢を与えてますよね


食べるか食べないか?

食べなければ神様に従ってるってことですし、

食べてしまったら

従わないことを選んだということになる。

でも、もしこれも選択肢を与えずに

ただ自由にしてたら

それは本当に自由があるのか?っていう考え方です。

こうき
こうき

うーん、だとしても

悪を野放しにしているのはちょっと・・・

神様が全知全能なら、ピッと悪を消して欲しいと思ってしまいますね。笑

ゆうき牧師
ゆうき牧師

ピッと消すと、きっともう世の終わりになってしまうんですよ。

そうなると、わたしたちの「信仰」ってものがなくなるじゃないですか。

「信仰するか、しないか」の選択肢がなくなるわけです。

これは、神様との関係なんですよ。

罪を犯して終わりじゃないですよね? 聖書って。

罪を犯しても、悔い改めて神様に謝ったら

関係が回復するんです。

だから僕らも今、生きています。

私たちはクリスチャンですが、人間なので罪を犯してしまいます。

でもそこで終わりじゃないじゃないですか。

やっぱり、人間との関係を神様は求めてるんじゃないでしょうか?

次に三つ目の考え方です。

③「悪がない場所=天国」という考え方

ゆうき牧師
ゆうき牧師

悪の存在を許している神は

慈悲心がないのか?ということに関して。

仮に神が悪を造ったとしても、

悪に走るのはあくまでも人間の問題っていうこと!

そこは切り離して考えた方がいいと思います。

僕らは「悪を造った神が悪い!」って言うじゃないですか。

でも選択してるのはあくまでも人間です。

聖書の中で「神は誘惑しない」と書いています。

と言うことは、

神様は悪を造って、わざと悪に行くように誘惑って

絶対しないってことです。

むしろ人間を守ろうとしてるんだけど、

人間が突っ込んで行くんです。

確かに、悪を造る必要はなかったんじゃないのか?

と言う発想は分からなくはないです。

でも、そこが僕らの今後行く「天国」なんじゃないでしょうか?

罪もないし涙もない場所。

そんな場所を私たちは経験していないから、
どんな場所か分からないですよね。



罪を犯しそうになったとき、神様が無理やり止めたら?

それは神さまが介入し過ぎで、自由はないですよね。

もし皆んな天国行きが決まっているなら、

システムを作ればいいわけです。

罪を犯しそうになったら人間が死ぬとか、

その人がパッと消えるみたいな。

そういうシステムを神様が作らないってことは

やっぱり人間の自由を尊重してるということではないでしょうか。

まとめ

Q「なぜ神は悪を造ったの?」
A「聖書に明記されていないので、分かりません。
 あらゆる議論がなされていますが、結論は出ていないです。」

結論は出ていませんが、3つの考え方があります。
①「悪を消す=最後の審判が来てしまう」という考え方
②「神様が人間に選択肢を与えた」という考え方
③「悪がない場所=天国」という考え方

全てのものを神様が造られたと聖書に書かれています。
そのことから、悪の存在も神が造ったのでは?
どうしてわざわざ悪の存在を造ったのか?
悪を造ったなら、神は良い方とは言えないのでは?

そんなふうに疑問を持つことがあります。

しかし神様は自由な方であり、人間に選択肢を与えていると考えることもできます
悪を選ぶのも人間次第、
神様を信仰し正しく生きようとすることを選ぶのも人間に
委ねられていると考えることができます。

このテーマを通して、
私たちは悪を選ぶのか?
それとも聖書に書かれていることや、神様との関係を通して
正しい道を選べるように祈りつつ生きていくのか?
そういったことを考えさせられます。

これからも、このようにディープな問題についても
答えていきたいと思いますので
質問や感想があれば、ぜひコメント欄で教えてください!
また次回お会いしましょう!

最後までお読み頂きありがとうございます。この内容はYouTubeでもご覧いただけます。

タイトルとURLをコピーしました