はじめに
今日は、「前世はあるのか?」というテーマについて説明します。
現在の科学では、前世というものの存在を証明することができていません。
しかし、前世の記憶が残っているという人も存在します。
よくある話が「生まれ変わり」の事例や前世の経験を鮮明に語る子供たちの話です。
また、「生まれ変わり」を意味する「輪廻転生」という言葉を聞いたことのある方も多いと思います。
今は仏教用語として定着していますが、元々インドのヒンドゥー教(バラモン教)の思想で、釈迦以前から存在し、ヒンドゥー教から派生した仏教やジャイナ教にも引き継がれています。
では、聖書は、この前世や輪廻転生について、なんと言っているのでしょうか?
この記事を読むと、「前世はあるのか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。
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「前世はあるのか?」
一言で言うならば、「前世は存在しない」と聖書は言っています。輪廻転生も聖書には出てきません。
新約聖書にこのように明言されています。
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
聖書(ヘブル書9:27)
人間は死にます。
しかし、「一度のみ」と書いています。
一度、死んだ後は、「裁きを受ける事が定められている」と書いているのです。
聖書のどこにも、人間が二度、地上での生涯を送るチャンスを与えられるとか、違う人物や動物に生まれ変わるなどとは書いていません。
では、なぜここで「一度死ぬこと」と「裁きを受けること」が紐づけられて出てくるのでしょうか?
それは、聖書では、そもそも死は罪の結果だからです。
罪の報酬は死です。
聖書(ローマ6:23抜粋)
これは、死は罪の結果、私たちにもたらされる報いという意味です。
なので、聖書は、一人の人が死ぬことと罪の裁きを、別々に考えることはしません。
全ての人が、自分が地上生涯で、生きていきた人生について、神の前で、弁明することとなります。
もし、私たちが神の目に、一つの罪を犯さず、誰にも迷惑をかけず、生きているのなら、そのように神に正しく裁いてもらえば、「裁き」という言葉に恐れを感じません。
しかし、完璧な人間は存在せず、神の前で清廉潔白だと言い切る自信や根拠がないので、私たちには「裁きからの救い」が必要になるわけです。
逆にこの地上生涯で、自分が罪人であることを認め、キリストの十字架と復活によって罪が赦されたことを信じるなら、「永遠のいのち」が与えられます。
この永遠のいのちというのは、死後から始まるのではなく、信じた瞬間から、神とともに永遠に生きることの保証です。
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
聖書(ヨハネ5:24)
イエス・キリストが十字架にかかる時に、実は十字架が三本立っていたのをご存知でしょうか?
実は、キリストの両隣に、同じように十字架にかけられた極悪人がいたのです。
そのうちの一人は、キリストを神として信じました。
すると、キリストはこう答えたのです。
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
聖書(ルカ23:43)
パラダイスとは、天国と思っても差し支えありません。
つまり、キリストは、その人が「生まれ変わる」など言わず、「その人のままで、永遠に天国で「わたし」つまり神とともに住むことを語られているのです。
また、キリストは、ユダヤ教の学者たちに、このように言われました。
死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。
聖書(マタイ22:31-32)
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」
一見、難しい箇所ですが、言っていることは簡単です。
旧約聖書に、アブラハム、イサク、ヤコブという人物が出てきます。
彼らは、キリストの時代の何千年も前にとっくに死んでいます。
しかし、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」ということで、彼らが死後に復活して、神とともに今も天国で生きているといっているのです。
もし、死んだものの神なら、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であった。』と過去形で言うはずだという論理です。
つまり、聖書は輪廻ではなく、あくまでも一人の人は死後も、その人であり続けると言っているのです。
聖書が輪廻転生を教えていないことはわかった。
でも、じゃあなんで、前世の経験を鮮明に語る人がいるんだ?という疑問が残ります。
ハーベストタイムの中川牧師はこのように言っています。
ハーベストタイムのYouTubeチャンネルはとてもわかりやすいので、おすすめです。
- ①人間の過去の記憶はあいまい
- ②テレビ、映画、小説、夢などの影響で、体験していないことを実体験だと思い込んでいる場合がある
- ③実際に体験したことを、誤って記憶している場合もある
- ④悪霊の影響を考慮する必要もある
- ⑤生前の記憶があると主張する人は、輪廻が真理だという前提を置いて語っていることが多い
私は個人的に、悪霊の働きによって説明がつくと思っています。
聖書ははっきりと悪霊の存在を肯定しています。
サタンと呼ばれる悪魔も、悪霊の一人ですね。
聖書によれば、悪霊はもと天使で、目に見えません。
サタンが人類の祖先アダムが造られた時から、現代にも変わらずに活動しているのを見れば、悪霊が、昔生きていた人間の人生や出来事を記憶していることは想像できます。
彼らが、知らない間に、その記憶を、人に吹き込んだとしたらどうでしょう?
聖書には、記憶を入れるなどの事例は書かれていませんが、サタンがキリストを裏切るイスカリオテのユダの心に思いを入れたという箇所は出てきます。
夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。
聖書(ヨハネ13:2)
このように、聖書の教えを前提にして考えることは可能です。
まとめ
「前世はあるのか?」
「前世は存在しない」と聖書は言っています。
輪廻転生も聖書には出てきません。
人は、一度だけ死に、その後は、「裁きを受ける事が定められている」と書いているのです。
このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。