【聖書が教える人生の意味#9】なぜ人はいろんな体験をするのか?「永遠に続くのか、この世で終わるのか」聖書(ミカ書6:8、伝道者の書3:11)

聖書が教える人生の意味9
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はじめに

皆さん、こんにちは。
札幌駅徒歩5分、ビジネスマン向けの教会、札幌ガーデンチャーチのゆうき牧師と申します。

今日は、「なぜ人はいろんな体験をするのか?」というテーマについて説明します。

あなたは今までに、どのような体験をしてきましたか?

友達と遊んだ記憶。家族で過ごした時間。楽しい体験、うれしい体験など、思い浮かぶことが多いと思います。

一方、誰もが嬉しい体験だけではなく、悲しい体験、つらい体験など、いろんな体験をしてきたと思います。

ところで、なぜ人はいろんな体験をするのでしょうか?
何のためにいろんな体験があるのでしょうか?

この記事を読むと、「なぜ人はいろんな体験をするのか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。

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「なぜ人はいろんな体験をするのか?」

 一言で言うならば、「永遠に続く関係を築くため」だと聖書は言っています。 

二つのキーワードから、その理由を聖書から探します。

①永遠に続く

聖書には、人は誰でも永遠に対する思いを持っていると言っています。

神はまた、人の心に永遠を与えられた。

聖書(伝道者の書3:11 抜粋)

誰もが、過去の体験から多くのことを学び、現在、そして、未来にいかします。

全ての人は、自分の人生には終わりが来ることを知っています。

死ぬことは避けられないことを知っているからです。

死後の世界については、人それぞれ意見が分かれるでしょう。

聖書は、私たちがこの肉体を離れても、魂は永遠に生きると言っています。

皆さんは、死後はどうなると考えますか?

ここで、死ぬ時がゴールだと考える人と、死んだ後にも続く世界があると考える人では、この世での生き方に違いが出てきます。

死ぬ時がゴールだと考える人は、私たちが人生においてする全ての経験は、この世でいかされるためだと考えるでしょう。
だって、死んで全てが終わりだとするなら、その先は考える必要もないからです。

であるなら、できるだけこの世で自分が幸せと思える体験をするのが良いですね。

その瞬間、瞬間を大切に生きるのです。

では、苦しい体験や、悲しい体験は、なんの意味があるのでしょうか?
それも、この世で成功したり、幸せな生活を手に入れるための糧だということができるでしょう。

でも、ここで考えてみたいんです。

では、生まれながらに、貧困や戦争に巻き込まれたり、苦しみや悲しい経験だけをして命を落とした人の人生は、どう評価すれば良いのでしょうか?
彼らの経験が、彼らの生きている間には全く生かされていなかったとしたら?

たまに、「神がいるのに、なぜ、すぐに死んでしまう人がいるんだ?」という言葉を聞きますが、逆に神がいないなら、どうやって説明ができるでしょうか?

神がいるなら、その人の魂は死後も続いているので、「短い地上での人生にも何か意味がある」という可能性が生まれていきます。

私たちにはわからないことを、神は知っていると考えることができるからです。

では逆にこの世で多くの成功をおさめ、富をたくさん得た人がいるとしましょう。

でも、その人が死んだら、富や名誉は残りません。

みんな裸で死んでいきます。財産は相続され、名前も時とともに忘れられていきます。

死んだ後でも「ノーベル科学賞」のノーベルみたいに、名前が残ったとしても、もし死後に何もないなら、その人にとっては、死後に誰かが名前を覚えていようが全く関係のないことです。
その人の存在はこの世でも、いわゆるあの世でも、消えているならです。

しかし、聖書は人は死後にも永遠に生きると書いてあり、死んでも永遠に残るものがあると言っています。

それが、2番目のポイント、関係です。

②関係を築くため

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

聖書(ミカ書6:8)

聖書は、「神とともに歩むこと」と表していますが、これは神との関係です。

死んだ後に、神と会うのだとしたら、聖書はそう断言していますが、地上で神とどのような関係を築いたかが大事ですよね。

「神なんていねえよ」と生きていた人は、神と会ったら、どのような対応をするのでしょうか。

その人は信じていませんでしたが、本当に聖書の通り神がいて、死んだ後に神に会ったら、それでも「神なんていねえよ」と主張するでしょうか。

地上で蓄えた富や、成功も、全ての体験も、意味がないのです。

神との関係において、何をしたのかが問われるでしょう。

ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

聖書(ミカ書6:8)

この世で、「公正を行い、誠実を愛し、へりくだって」生きてきた人は、神に評価されるでしょう。
それが神が人間の人生に望んでおられることだからです。

実は、旧約聖書の律法の教えも、「神を愛し、隣人を愛する」という「愛」に要約されます。
愛は、「関係」において使われる言葉です。

つまり、この地上でもっとも、大切な体験、永遠に続く体験は、神と人との関係なのです。

悲しいことや、不幸なことが起きた時に、自分の罪ふかさを悟り、神により頼む人は、神との関係を築いていきます。
嬉しいことや、幸せなことが起きた時に、神に対して感謝の心を持ち、神を賛美する人は、神との関係を築いていきます。

神との良い関係を築くことを心かげている人は、神の命令を守ります。
神の命令とは、「神を愛し、隣人を愛する」ことなので、周りの人を大事にして、助けるようになります。

そのような人は、成功や富も、神から来るものだと知っているので、それを神を愛し、隣人を助けるため、愛するために使います。

聖書の旧約聖書には、ダビデの息子ソロモンが書いたと言われる「伝道者の書」という箇所があります。

これは、ソロモンは今から3000年ほど前に、中東のイスラエルにいた王様で、おそらく、歴史上もっとも成功した人物です。

伝道者の書を読むと、彼は、権力、富、事業の成功、快楽、知識、全てのものを手にいらたようです。

たくさんのことを経験した結果、彼が結論づけたことは、次の通りです。

7 土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。
8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

聖書(伝道者の書12:7-8)

空の空とは、むなしいということです。
どうせ、どんな経験をしても、人は死ぬんだから、むなしい。

ただ、彼はだからこそ、このように続けます。

13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
14 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。

聖書(伝道者の書12:13-14)

神が全部知っているなら、神が喜ばれることをすること。
それが、すべてだと。

なぜなら、彼は永遠に続く、神との関係を信じていたからです。

神はまた、人の心に永遠を与えられた。

聖書(伝道者の書3:11 抜粋)

最初に読んだ、この箇所もソロモンの言葉だったんですね。

まとめ

「なぜ人はいろんな体験をするのか?」
一言で言うならば、「永遠に続く関係を築くため」だと聖書は言っています。

二つのキーワードから、その理由を聖書から探します。

私たちがする全ての経験が、永遠に続く関係を築くためだと考えるならば、全ての体験が意味を成していきます。

神を愛し、隣人を愛することで、永遠に続く天国での関係を意識して、生きていきましょう。

このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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