はじめに
今日は、「なぜ、仕事をするのか?」というテーマについてお話します。
いつから人々は「働くこと」をネガティブに捉えはじめたのでしょうか?
高度経済成長時(1955年~1973年までの19年間)は働くことは喜びであり、国全体が戦後復興、東京五輪、万博と明るい未来に向かっていました。
でも、今では仕事はできればやりたくない「嫌なもの」
その背景に、ブラック企業の存在がありました。
バブル崩壊後に経済が停滞し、日本の多くの企業は、生き残るために人件費削減を強いられました。
それに加えて、終身雇用制度の廃止、昇給性の不透明化、非正規社員の増加、これらの過酷な労働下で、企業は社員の気持ちよりも、不況を切り抜るための保身優先になって行きます。
一概に悪いこととは言い難いですが、そんな中で、常識外のサービス残業、人権無視の労働環境・ノルマなど、極端な事例も出て来ます。
ここで生まれたパワーワード。それがブラック企業。
そして、思うわけです。
「俺は何のために仕事をしているのか?」
こんなにこんなに辛いのに。
対して楽しくないのに。
こんなに我慢して。
しかし、一方で、生き生き、楽しそうに仕事をしている人もいます。
2014年に日本で流れた「好きなことで、生きていく」というYouTubeのCMのインパクトを多くの人が覚えているでしょう。
なので、よく考えてみると、一概に「仕事をすること自体が悪」とは言い切れませんよね。
この記事は2020年に出版した「仕事と聖書」という本の内容が元になっています。もし、この本に少しでも興味のある人は、こちらからLINE友達か、メールマガジンの登録をしてください。
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「なぜ、仕事をするのか?」
聖書から3つの理由を紹介します。
今日は、その3つ目。
結論を一言で言うならば、仕事をするように神に造られたからです。
つまり、聖書は、仕事は本来良いものであると言っているのです。
聖書の根底に流れているのは、私たち人間は神によって造られたという思想です。
聖書の一番最初の創世記というところには、アダムとエバという神に最初に造られた人間が出てきます。
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
聖書(創世記 1:27)
え、猿から進化したんじゃないの?
今日は、その議論は置いていて、とりあえず、人間は神によって創造されたということを前提に話を進めます。
もし、このことに興味のある方は、「人間は猿から進化したのか?」というこちらの動画をご覧ください。
神が人間を創造した後、アダムは何をしたのでしょうか?
野原を駆け巡った?公園を散歩した?1日中エバとデートした?
実は、聖書をみると、最初にアダムが造られたので、エバはこの時、いません。
じゃあ、ロンリーアダムは何をしていたのか?
もうなんとなく、わかりますよね?
「仕事」なんです。
まじか!
アダムは仕事をしていたのか!
神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
聖書(創世記 2:15)
アダムが生まれたエデンの園を、耕して、管理する仕事です。
地を耕すとは、字義通り、エデンの園の土地を耕して、開拓することです。
その時の食物は、植物や木の実だったので、仕事としての農業です。
守るとは、エデンの園を保護し、管理することです。この単語は、家畜を世話する時や、他の人を守る時にも使われます。
アダムは、一次産業のワーカーとして、働いていたのです。
一日中、眠りこけて、散歩して、食って寝てではないのです。
もう一つ、アダムがした仕事がありました。
神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。
聖書(創世記 2:19)
これは仕事と呼ぶのかわかりませんが、アダムは神様が造った動物の名前を自由につけました。
空を飛ぶ、かっこいいのは、「鷲」だ!
小さい鳥は、スズメにしよう。
私たちの中にも、製品を開発して、名前をつける仕事がありますよね。
どんなネーミングが売れるだろうか。
ある意味、立派な仕事です。
つまり、聖書の最初を見るなら、神に造られた人間が最初にしたこと。
最初からしていたことは、仕事なのです。
なんで仕事するの?と理由を聞かれれば、まず第一に、神がそのように人間を造ったからということができます。
きっと、アダムは一日、肉体を使って、地を耕し、程よい疲れを感じ、夜ぐっすり寝たことでしょう。
エデンの園が、耕されて、農地ができ、トマトとか、かぼちゃができて行くのを見て、満足感と充実感を感じたことでしょう。
その時の仕事は楽しかったことでしょう。
しかし、現代においては仕事は楽しいだけじゃありませんよね。
なぜ?
お金を稼ぐために、やりたくないことも必死にやらないといけない。
残業や休日出勤は当たり前。
やりたいことして生きていく?そうしたいけどさ。人生そんなに甘くないぜ。と思いますよね?
でも、創世記のアダムからは、仕事の辛さとか、苦しみは伝ってきません。
じゃあ、なんで、今の仕事は苦しみがあるんだ?
ていうか、アダムは金のために働いてないよな?
これは、前回、お話ししました。
俺らは、金のために働いていて、苦しい。
じゃあ、お金を稼ぐという思想自体が悪なのか?
いえいえ、聖書は貪欲は禁じていますが、お金自体は悪ではありません。
お金はどう使うかが大事だからです。
じゃあ、なんで、神が仕事をするために人間を造ったのに、仕事をするとき苦しいことがあるんだ?
嫌なこと。我慢することがあるんだ?
会社の上司に聞いても、「それが仕事」だろ。
親に聞いても、「みんなそうやって頑張っているんだ」くらいしか返ってきません。
この疑問について、聖書ははっきりと答えています。
それは、次回以降に、聖書から答えたいと思います。
まとめ
それでは、今日の話をまとめましょう。
なぜ、仕事をするのか?
聖書から3つの理由を紹介してきました。
今日は、その3つ目。
結論を一言で言うならば、仕事をするように神に造られたからです。
つまり、聖書は、仕事は本来良いものであると言っているのです。
それを土台に、第一の理由である、人生の使命を果たしていきます。
また、第二の理由である、神を礼拝していきます。
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次回は、「なぜ、良いものである仕事が辛いのか?」について聖書からその理由を説明します。
乞うご期待!