私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
聖書(1ヨハネ 1:3)
はじめに
先月は、教会の二つの大事な目的を取り上げました。
- ①神を愛し、隣人を愛するため。(①礼拝、⑤奉仕)
- ②神の国の拡大のため。(②宣教、③交わり、④教育)
この目標を達成するために教会がする5つの具体的な機能を見ています。
- ①礼拝
- ②宣教
- ③交わり
- ④教育
- ⑤奉仕
今日は交わりについてです。
まず、「交わり」とは何ですか?一言で言ってください。
交わり(国語辞書)
付き合い/交際/人と接すること
でも、あまり使いませんね。
これは、クリスチャンしか使わない専門用語だと思ってください。
では、この世の「交わり(交際、交流)」と、クリスチャンの「交わり」は何が違うのでしょうか?
実は、この違いが聖書からわからないと、教会の中で寂しさ(疎外感)を感じる原因となります。
自分が思っている交わりと、聖書の交わりが違うので、この世のものを教会に求めてしまうのです。
今日の記事を読めば、交わりとは何かを聖書から、一言で言えるようになります。
それがわかると、教会の交わりが、この世の交わりと、一線を画することがわかります。
交わりとは何か?
交わりとは
- ①十字架によって始まる
- ②1つのからだとして
- ③愛し合うこと。
です。
交わりという言葉は、原語のギリシャ語で「コイノニア」と言います。
コイノニアの意味は、「交わり」とか「共有する」という風に訳されています。
しかし、この交わりという意味は、「単なる交わりや交際を越えた強い一致を表します」
なので、一般的なサークルや仲の良い関係とは異なります。
この強い一致は、どこから来るのか?ということをもとにまとめると、
①十字架によって始まる
ということです。
13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
聖書(エペソ2:13-14)
14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
罪人である私たちは、二つのものと敵対関係にあったと聖書は言っています。
一つは、神。
もう一つは、自分以外の人たち。
これを十字架の縦の木と、横の木で考えるとわかりやすいです。
敵対関係、わかりやすく言い換えれば、「壊れた関係」
その原因は人間が持っている罪です。
職場のストレス、いや人生のストレスのほとんどは人間関係の悩みからきます。
人間関係が壊れるとものすごいストレスになりますよね。
ただ、残念ながら、どんなに良い人間関係を築こうと、本を読み、心理学を学び、コミュニケーション手法を身につけても、全ての人と無条件でいつも良い関係を築けるようにはなりません。
断言します。絶対なりません。
なぜなら、先ほどお伝えした、罪を私たち全ての人が持っているからです。
人間関係における罪とは、例えば、自己中心とか、配慮のない行動。意識的にも無意識にも相手を傷つけてしまう言動。
相手を信頼できない心。赦せない心。
この罪の問題が解決しなければ、不完全な人が愛し合うことは不可能です。
なので、イエス様は十字架によって、罪の問題を解決し、私たちがまず神様と和解できるようにされました。
そして、周りの人をも赦し、愛せる力をくださいました。
十字架の縦と横。
いつも、最初は神との関係です。
つまり、教会の「コイノニア」単なる交わりや交際を越えた強い一致は十字架による神様との「交わり」から始まるのです。
実は、これ、聖書に明言されています。
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
聖書(1ヨハネ 1:3)
私たち、教会の交わりは、イエス様との交わりが土台なんだと言うことです。
なので、イエス・キリストへの信仰がないと、聖書のいう「コイノニア(交わり)」はできません。
教会にたくさんのノンクリスチャンが来ました。
BBQして楽しいな。イベントで楽しいな。
これは、聖書のいう交わりではないと言うことです。
では、聖書のいう交わりは、どういうことか、もう少し見ていきましょう。
②1つのからだとして
大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。
聖書(ローマ人への手紙 12章5節)
「単なる交わりや交際を越えた強い一致」とはどれくらい強い一致なのか?
一つのからだくらい強いんです。
信仰者のオールスターチームでも、接着剤でくっつけたロボットでもありません。
一つのからだそのものです。
その頭がキリストです。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、
聖書(エペソ5:23)
繋がりますよね?
交わりの土台がイエス様との関係。
一つのからだも、イエス様が中心。
世の中の人間関係は、離れている人が近づいたり、離れたりします。
しかし、十字架から始まる交わりは、すでに一つだと言う認識です。
一つになろうではなく、私たちはキリストの血によって、一つだよね。っていうことです。
世の中の人間家族は、やはり家族のような血縁関係の結びつきにはなりえません。
あっちの世界は、兄弟の契りをかわすかもしれませんが、親分は人間です。
どうしても、親分の人間性に左右されやすいでしょう。
しかし、神の教会は、一つのからだ、言い換えれば、家族のような一致を持っています。
18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
聖書(エペソ2:18-19)
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
家族って不思議です。自分で選べません。
同じように、教会で救われる人も私たちが選べません。
また家族は、ときに、いやめっちゃ、喧嘩もします。
家族同士が遺産相続で揉めた時は、憎しみがエスカレートして、殺人まで起きます。
でも、どんなに喧嘩しても、家族であることは変わりません。
なぜ?
血が繋がっているからです。
私たちは、一つのからだです。
同じ血が流れているのです。
誰ですか?
イエス・キリストが十字架で流された血です。
だから、聖餐式で、キリストの血の象徴であるブドウジュースを一緒に飲むんです。
兄弟の杯です。
どうでしょう?
色々な聖書の知識が繋がってきませんか?
三つ目は、具体的な行動です。
③愛し合うこと。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
聖書(ローマ 12:10)
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。
聖書(1ヨハネ3:18)
本当の愛は行動で現れます。
コイノニアには二つの訳があると言ったことを覚えていますか?
「交わり」と「共有する」
信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
聖書(使徒4:32)
この共有と訳されたギリシャ語が、コイノニアです。
何を共有したのか?
キリストの恵み、愛、賜物、尊敬。
ただ、使徒の働きでは、お金や物質的なものを共有することで、愛が現れていました。
お金も持ち物も言ってみれば、キリストが与えてくれた恵みです。
なぜ、教会で献金があるのか、大切なのか意味がわかってきたのではないでしょうか?
初代教会?
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
聖書(使徒2:42)
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
聖書(使徒2:44)
→共有していたが「交わり」の語源、コイノニアです。
なぜ、交わりをするのか?
①福音の本質だから。
つまり、交わらないことなどできない。
すべては関係。
救いも関係。
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
聖書(ヨハネ17:21)
神にも交わりが存在します。
え?一人でどうやて?
違うんです。神は三位一体です。
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
聖書(創世記1:26)
神は存在そのものの中に、完璧な交わりが存在しているのです。
これが、教会が目指す交わりです。
②私たちに必要不可欠だから
一人で生きれる人はいません。
神である【主】は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
聖書(創世記 2:18)
まあ、これは説明する必要ないでしょう。
2006年に内閣府が日本国民にとったアンケートがあります。
日常において、幸せを感じる瞬間はいつか?
1位、家族団らんの時 47.9%
2位、ゆったりと休養している時 41.9%
3位、友達や知人と会合、雑談している時 41.5%
4位、趣味やスポーツに熱中している時 41.3%
5位、仕事に打ち込んでいる時 30.9%
ここでわかることは、私たちは親しい関わりを求めていると言うことです。
それが、教会になるなら、人々は黙っていても教会に押し寄せてきます。
③サタンの攻撃に勝つため
群れから迷い出た羊は、野獣に食われます。
サタンは吠え猛る獅子です。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
聖書(1ペテロ5:8)
野獣は、群れからはぐれた獲物だけを狙います。
秘訣は群れから離れないことです。
なので、教会に属さず、一匹狼のクリスチャンは、自分では大丈夫だと思っても、狼よりももっと大きなライオンが狙っていることを忘れないでください。
どうやって、交わるのか?
→まず、神様との交わりを深める。他にもたくさん話したいことはありますが、今日はこれだけ。
大切なのは、十字架の縦。神との関係です。
横の交わりで不可欠な愛は、神から自然と流れます。
神の愛は、アガペーの愛と言い、人間の愛とは一線をかきます。
アガペーの愛で満たされる。
真の愛に触れる。
また、私たちが神に愛されて、心のタンクが満たされて、そこから神の愛アガペーが溢れてくのです。
もし、私たちの交わりが壊れているとしたら、神との交わりが壊れていないか点検しましょう。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
聖書(1ヨハネ1:6-9)
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
つまり、神の前で罪を悔い改めて、十字架の赦しを受け取る。
もう一度、十字架の愛に戻ると言うことです。
終わりに
- A.交わりとは何か?
①十字架によって始まる
②1つのからだとして
③愛し合うこと。 - B.なぜ、交わりをするのか?
①福音の本質だから
②私たちに必要不可欠だから
③サタンの攻撃に勝つため - C.どうやって、交わるのか?
→まず、神様との交わりを深める。