ある調査によると、働く人が最もストレスを感じる事柄は、「職場の人間関係の問題」(41.3%)だそうです。
みなさんは、「この人嫌だなあ」「できれば一緒にいたくないな」という人いませんか?
特に、誰かから嫌なことをされたり、自分の陰口を言われたとき、悶々とストレスを抱えてしまうことってありますよね。
聖書は、「相手の悪い行動に対して、良い行動で返しなさい」と言っています。
20 次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に、燃える炭火を積むことになるからだ。」
聖書(ローマ12:20-21)
21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
普通は、自分で復讐したり、見返してやりたくなります。
または、陰でその人の悪口を言います。
それらは悪くないように思えます。だって相手が悪いじゃん。
しかし、聖書は、悪いことをされたら、逆に良いことをしなさいと言っているんです。
もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。
これは、相手が困っていたら助けてあげるなどの積極的な愛の行為です。
復讐をしないことどころか、見過ごしても全然良いようなことをあえてしなさいと神様は言っています。
そうすれば、「彼の頭上に、燃える炭火を積むことになるからだ」と書いています。
「燃える炭火」とは2つの解釈が可能です。
① 相手がその良い行いを返されることよって顔が赤くなるほど恥じること。
② やがて来る神様の裁きにむかって神の怒りが蓄積されていくこと。
どちらにせよ、私たちがすることは、自分で復讐せずに、敵を愛することです。
イエスキリストも、十字架にかかる時に鞭を打たれ、唾を吐かれましたが、このようにも祈られました。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
イエスキリストは、彼らをさばかないであげて下さいと祈っています。
どういう意味でしょうか?
これは、やがて来る悪いものたちの上に積まれた炭火の裁きすらも、自分が受けるということです。
罪の裁きを背負って死なれた。それが十字架の愛なのです。