12 あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。
聖書(ヘブル5:12)
13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
はじめに
僕は2つの神学校を出ています。
韓国で三年間。関西のKBIという神学校で一年間。
なぜ、KBIを一年で修了して、韓国に行ったかというと、「みことばの学び」に飢えていたからです。
KBIをはじめとする日本の神学校は、学びよりも、訓練がメインだと感じます。
神学校の授業が午前で終わると、午後は、学院の掃除や、奉仕をします。
僕も、先輩と、水道の修理とか、壁の修復とかもしていました。
その中で、仕えることを学ぶんです。
土日は、奉仕教会と言って、一年間同じ教会で奉仕します。
土曜の昼から、公園に行って子供たちに紙芝居で伝道。ナンパするより恥ずかしいです。
その後は、教会でCS。
その後は、とにかく、掃除。
夕方になれば、教会の冷蔵庫にあるもので、牧師やスタッフの料理を作る。
よく言われていたのが、神学生は丁稚奉公。
住み込みで、下働きをして訓練を受けて、育てるって感じです。
最終的に、みことばの学びが足りなくて、韓国に行ったのですが、これらの実地訓練及び、厳しかった学長や奉仕教会の保野先生には感謝しています。
やはり、みことばは、頭の知識を増やすだけじゃなく、実生活で適用できてるかが大切だからです。
特に、牧師など、リーダーはそうです。
口では教えてても、その人が体験してなければ、聞いている方が、心に響きません。
今日のメッセージは、苦難の目的の③をお話しします。
私たちが人生の苦難を通るのは、◯◯になるためという理由があるのです。
人生の苦難は◯◯になるため
では、その答えを言う前にもう一度、今日の聖書を読みましょう。
12 あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。
聖書(ヘブル5:12)
13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
一言で言うならば、ヘブル書の読者たちは、おっぱい吸ってる「ベイビークリスチャン」だと言うことです。
どう言うことかというと、ヘブル書の読者たちは。神のことばの初歩すらあやふやであって、まるで乳ばなれしていない赤ちゃんのような全然成長していない状態でした。
とりあえず、救われたからOK!洗礼受けたらからOK!教会に行っているからOK!
でも、それだけだと、教会に10年通ってるのに、クリスチャンになって3年も経っているのに、実はおっぱい吸ってる「赤ちゃん」の状態のままだってこともあるのです。
それでは、ヘブル書の著者は本来どういう姿にならなければいけないと言っているでしょうか?
三つのことが出てきます。
- ①ほかの人を教えられる人(12節)
- ②義の教えに通じている人(13節)
- ③善悪を見分けられる人(14節)
タイトルの答えは、苦難の目的③教師になるためです。
誰かに教えられる人はどんな人ですか?
12 あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。
聖書(ヘブル5:12)
みことばの初歩を知識的にしっかりと学び、人に教えるスキルがある人。
学んだけど忘れている人もダメですね。
また、その知識をを実践している人です。
義の教えに通じている人はどんな人ですか?
13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
聖書(ヘブル5:13)
「義」ってそもそも何でしょうか?
これを答えられるクリスチャンは、0.00001%です。
「義」って何?
正しさ?律法を守ること?
惜しいですが、合ってません。
これが正解なら、人類は義を得られません。
なぜなら、正しく生きれないし、律法を守れる人は存在しないからです。
ダビデでさえ、十戒の半分を破りました。
義とは、神との正しい関係にある人のことです。
神があなたを義と認めていれば、義です。
羊、我。
私はキリストの羊。
なのか、羊が真っ二つに咲かれるのか。
どちらにしても、なぜか漢字が神の子羊キリストを表しています。
Ex「漢字=中国にクリスチャンがいた」
では、最後の善悪を見分けられる人はどんな人ですか?
14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
聖書(ヘブル5:14)
つまり、みことばを聞くだけではなく、実生活の様々な困難の中で、何が神の御心で良いことか、何が悪いことかを実際に経験して身につけた人です。
感覚=霊的な感覚
霊的な感覚って何ですか?
正直、説明はできません。
体験しないとわからないです。
大谷翔平にどうやってホームランを打つんですか?
と聞いたら論理は教えてくれるでしょう。
でも、感覚は、彼にしかわかりません。
でも、訓練されたホームランバッターなら、「なるほどね」とその感覚がわかるかもしれません。
この感覚は「経験によって」訓練されます。
「経験」のギリシャ語「ヘクシス」は、習慣または持続的な練習を指します。
じゃあ、どうやって、訓練されるのでしょうか?
それが、苦難なのです。
- ①ほかの人を教えられる人(12節)
- ②義の教えに通じている人(13節)
- ③善悪を見分けられる人(14節)
これらは、苦難を通して、できるようになります。
ベイビーは苦難で負けます。
イエス様の種まきの話はこのことをよく表しています。
3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
聖書(マルコ4:3-8)
4 蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、
6 日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。
7 また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。
8 また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
イエス様はこの意味を次のように解説されました。
14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
聖書(マルコ4:14-20)
15 道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。
16 岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、
17 自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
18 もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、
19 この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。
20 良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」
つまり、聖書を学んでも、訓練されないなら、信仰が萎むと言うことです。
実は今日の前の箇所に、キリストこそ、苦難を通して、従順を学んだと出てきます。
7 キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。
聖書(ヘブル5:7-10)
8 キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、
9 完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、
10 メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。
キリストこそ、私たちの信仰のモデルです。
そのキリストこそ、神であるのに関わらず、苦難を通して、従順を学んで完全になったとあるんです。
キリストは、頭で聖書を論じる方ではなく、苦しみを通して従順に神に仕えられたのです。
苦難を通って、キリストは何を成し遂げられたか?
キリストこそ、次の三つを達成されました。
①ほかの人を教えられる人(12節)
→苦難を通して、つまり、- 律法を成就・神に従い尽くしたことで、神に不従順だったアダムの罪を贖った。→従うことは何かを教えられた。
- 迫害を受けられても愛し続けた。→生き方で愛を教えられた。
- 十字架による全人類の救い。→福音の力を教えられた。
②義の教えに通じている人(13節)
→苦難を通して、試練や誘惑など、どんな時でも、神との正しい関係を保たれた。
③善悪を見分けられる人(14節)
→苦難を通して、人間の策略や、サタンの誘惑にも打ち勝った。
ここが、キリストこそが、私たちの目指すべき、モデルです。
なぜ、SGCでは、聖書の学びを大切にするのか?
それは、ベイビークリスチャンが大量にいるからです。
自分がベイビークリスチャンかどうか、判断する方法があります。
「~~について」聖書はなんと言っているか?と一言で答えられたら、理解しています。
その聖書の根拠も明示できれば本物です。
洗礼を何年も前に受けているとか、私はクリスチャンホームなんて関係ありません。
問題は聖書を知っているか、知らないかです。
なのでSGCはまずクリスチャンになる前にしっかり聖書を勉強する。
その後も12週かけて、土台を築く。
もう一つ、大切なことが、頭の理解の土台の上に、体験が伴っているかです。
ここは、ちゃんと苦難を通っているか?で判断できます。
言い換えれば、試練を通って、精錬されているか?
試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします
聖書(1ペテロ1:7)
仕事の苦難→どうやって乗り越えるかを学んだ。
喪失の苦難→天国がよりリアルになった。人の気持ちがわかるようになった。
精神病の苦難→境界線を知った。
経済の苦難→与えてくださる神を知った。
人間関係の苦難→人間はみんな(自分を含めて)不完全だと知った。距離感を学ぶ。
終わりに
- ①ほかの人を教えられる人(12節)
- ②義の教えに通じている人(13節)
- ③善悪を見分けられる人(14節)
もし、あなたがこのように成熟していないなら、成長を目指しましょう。
聖書をしっかり学んで、同時に、苦難を通して、練り上げられるのです。
学びと訓練、両方大事です。
あなたが、今、苦難の中にいるなら、神があなたを期待しておられると言うことを知ってください。
今度は、あなたが、誰かを教える立場、導く立場になるためです。