弟子の使命「信仰のアクセルを踏まないと進みません」 聖書(マタイ10:1-8)

20220710
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1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、 汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。 霊どもを追い出し、 あらゆる病気、 あらゆるわずらいをいやすためであった。
2 さて、 十二使徒の名は次のとおりである。 まず、 ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、 ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
3 ピリポとバルトロマイ、 トマスと取税人マタイ、 アルパヨの子ヤコブとタダイ、
4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
5 イエスは、 この十二人を遣わし、 そのとき彼らにこう命じられた。 「異邦人の道に行ってはいけません。 サマリヤ人の町に入ってはいけません。
6 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
7 行って、 『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
8 病人をいやし、 死人を生き返らせ、 ツァラアトに冒された者をきよめ、 悪霊を追い出しなさい。 あなたがたは、 ただで受けたのだから、 ただで与えなさい。

聖書(マタイ10:1-8)

はじめに

私が関西のある神学校で訓練を受けていた時、週末は奉仕先の教会に寝泊まりして仕えていました。
公園に伝道に行って、掃除をして、ご飯を作って、片付けて、礼拝の奉仕をして、教会の周りの雑草を刈って…

その教会の牧師先生は、「神学生の訓練は丁稚奉公だよ」とおっしゃっていました。
丁稚奉公とは、小さい頃から職人や商人などの家に住み込みで働くことです。

そのような訓練を受けてよかったなと思います。
なぜなら、牧師先生から牧会を実践を通して学ぶことができるからです。

現代の言葉で言うならば、OJTですね。オン・ザ・ジョブ・トレーニング。
でも、もっと生活に密着していました。24時間です。

イエス様の弟子たちも丁稚奉公のようなものでした。
イエス様は、弟子を召し出し、一緒に生活し、実際にミニストリーを見せました。

しかし、弟子とは、いつまでも師匠の仕事を見てるだけではありません。
やってみて、訓練され、独りでもできるようになるのが、弟子の使命です。

今日の箇所は、イエス様が弟子たちに実施訓練を行う場面です。
「あなたたちは今までは私がしていたことを見ましたね。では、今度は、あなたたちが実際にやって見なさい」

今日は、3回シリーズの2回目、「弟子の使命」というタイトルで、マタイの福音書から共に学んで行きましょう。

弟子の使命

イエス様は、実施訓練をさせるために、12弟子を呼び寄せます。
何をさせたのでしょうか?

1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、 汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。 霊どもを追い出し、 あらゆる病気、 あらゆるわずらいをいやすためであった。

聖書(マタイ10:1)

「悪霊を追い出し、あらゆる病気、わずらいを癒すため」とあります。

このフレーズを見ると、あることに気付かなくてはなりません。
それは、「悪霊を追い出し、あらゆる病気、わずらいを癒すこと」はメシア預言の成就だということです。

イスラエルは救い主メシアとメシアが治める神の国を待望していました。

でも、メシアが来ても、誰がメシアがわからなければ困ってしまいますね?
自称メシアをどうやって信じればいいのでしょう?

しかし、神様はそんなことはすでに織り込み済みです。

メシアが来たら、本物かどうか、わかるようにサインがあるよとあらかじめ教えてくれていました。
それが、旧約聖書に書かれている、預言、メシア預言です。

そして、イエス様は確かにこれらのことをされたのです。

ルカ4:18-19にも、イザヤ書から、ご自身がメシアであることをお明かしになる箇所があります。

18「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、 貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
19 主の恵みの年を告げ知らせるために。 」

聖書(ルカ4:18-19)

他にもメシア預言はありますが、とりあえずこのルカで引用されているイザヤ書60章から、メシアが来たら、「悪霊を追い出し、あらゆる病気、わずらいを癒す」ということがあらかじめ教えられていたのです。

しかし、今日、私たちが注目したいことは、イエス様は、ご自身がメシアとしてされていたこれらのことを12弟子にさせたということです。

何をさせたかは、6-8節に書いています。

6 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
7 行って、 『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。

聖書(マタイ10:6-7)

まず、私たちは、イエス様の福音を宣べ伝えなければいけません。
しかし、そこで終わってもいけません。

8 病人をいやし、 死人を生き返らせ、 ツァラアトに冒された者をきよめ、 悪霊を追い出しなさい。 あなたがたは、 ただで受けたのだから、 ただで与えなさい。

聖書(マタイ10:8)

私たちにお委ねになった福音宣教とは、福音を言葉で伝えるだけではありません。
もちろん、伝えるのはとても重要です。
しかし、福音宣教とは、実際にキリストの力が証しされることです。

つまり、キリストの弟子の使命は、「キリストの福音を(神の力によって)宣教すること」なのです。

パウロはこう言いました。

神の国はことばにはなく、 力にあるのです。

聖書(1コリント 4:20)

私たちが陥りやすい、3タイプのクリスチャンがいます。

3つの誤った行動パターン

①口先だけクリスチャン

口ではそれっぽいことは言えるけど、実際に行動しない人です。

わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

聖書(マタイ 7:21)

もちろん、神の御心よって、する必要があります。

その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』

聖書(マタイ 7:22)

しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』

聖書(マタイ 7:23)

イエス様の強調点は、口だけじゃなくて、行動しなさいってことです。

また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。

聖書(マタイ 7:26)

口だけで行動しない人は、残念ながら、何も変わりません。

②議論好きクリスチャン

聖書の知識を持ってても、お勉強で止まっている人。

聖書を学ぶと、愛すること、関係を築くこと、ゆるすことなどが大事だとわかってきます。
それをどんなにプレゼンできても、愛について議論できても、実生活で、愛そうとしないなら意味ないです。

実際は、愛を学んだら、愛せない自分に直面するのです。
そこで、謙遜になり、神に向かえば方向としては間違ってません。

愛そうということは、行動しようとしているからです。

でも、だからとって、知識がいらない訳ではありません。

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。

聖書(ホセア 4:6)

弟子訓練も、知識だけじゃなくて、その人の実生活に入っていくことが重要です。
疑問を聞いて、知識で答えるだけではなく、一緒に祈る。
行動できるようにサポートする。

内面が砕かれる。変えられるように。

もちろん、教えている方も砕かれ、変えられ、悔い改める。

じゃあ、どんどん行動しよう!と思っても、実は落とし穴があります。

③自分の力クリスチャン

自分の力で、罪人の私たちが神の御心を果たそうとしても無理です。

聖霊の力が必要なんです。
悪霊は人間の力では対抗できません。

僕たちは弱さがあります。

じゃあ、どうやって、キリストの弟子の使命である、「キリストの福音を(神の力によって)宣教すること」を実行すればいいのでしょうか?

わかんねーよ!というのが本音でしょう。

簡単です。

1節をもう一度読みましょう。

1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、 汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。 霊どもを追い出し、 あらゆる病気、 あらゆるわずらいをいやすためであった。

聖書(マタイ10:1)

弟子たちは、イエス様から権威を頂いたのです。
みなさん、福音宣教は、イエス様の権威によってなされていくものです。

私たちに力はありません。
ただ、私たちが、イエス様の福音を宣べ伝え、御名によって祈る時に、キリストの力が証されていくのです。

なので、「(神さまを)信じて、やってみる」

これだけです。

実は、この単純な信仰の原理を知らない人が多いです!

なぜ?
やったことないからです。

信仰というのは、行動が伴うんです。

例えば、車はアクセルを踏むと前に進みます。
それを知識として知っているとします。

でも、アクセルを踏まないと、絶対に進まないのです。

最初、アクセル踏むの、怖いです。
いきなり発進したらどうしよう。怖いな。
もし、前の柱に衝突したらどうしよう。
ブレーキ壊れてたらどうしよう。

実はこのペダルはアクセルじゃなくて、踏んだ瞬間、車が爆発して死んだらどうしよう。

だから、後ろから押そう。
車は少しずつ進むかもしれません。でも、汗だくですし、ハンドルは使えません。
というか、こんな人いたら、アクセル踏めよ!って言いますね。

皆さん、笑話に感じますが、信仰も同じように、馬鹿みたい妄想と不要な恐れで、行動できてないなんてことあるんです。

信仰も、神様信じて、行動すればいいのに、色々なことを考えて、躊躇する。

福音を伝えれば、救われるのに、「相手が悪い反応したらどうしよう」

恐れありますね。でも、聖書に

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。

聖書(2テモテ4:2)

と書いています。

だから、アクセル踏めばいいんです。
あとは、神さまがやってくれるんです。

車自体に前に進む力があるように、福音に力があるからです。

車のアクセルを踏めばいいように、私たちは信じて、何か簡単な行動をすればいいんです。

  • ①口先だけクリスチャン
  • ②議論好きクリスチャン
  • ③自分の力クリスチャン

実際、この三つの共通点は、アクセルを踏んでないということです。
「③自分の力クリスチャン」はアクセルじゃなくて、車を後ろから押しているクリスチャンです。

この単純な、信仰の原理は、やってみないとわかりません。

例えば、悪霊の影響を受けている人がいるとします。
その人が本当に解放されるでしょうか?

今日の箇所で、弟子たちは、実際に悪霊を追い出しましたね。

皆さんはできますか?

一応、いろんな人が見ていると思うので、悪霊追い出しという言葉については色々な議論があると思います。
ただ、確かなことは、現代の悪霊が存在していて、私たちが悪霊の悪影響を受けることはあります。

今日のメッセージを聞いた、あなたができる「アクセルを踏む」行動は何でしょうか?

祈ることです。
それだけです。

簡単でしょう?

祈ること=進むこと

銀行員の時に、知り合いの人で、悪霊の影響を受けている人がいました。
ずっと、ネガティブなことを言って「夫と離婚する離婚する」と言っていました。

もちろん、大変なんだなと思って聞いていました。傾聴も大事ですね。

でも、何かずっと心でモヤモヤを感じたんです。
これは、悪霊の働きじゃないのか?

ここらへんの感じ方は人によって変わります。

でも、その時、勇気を出して、祈ってみることにしたんです。
その方はクリスチャンだったので、正直に言いました。

もしかすると、「悪霊の攻撃を受けてるかもしれない。ちょっと、祈らせてもらってもいいですか?」

お願いと言ってくれたので、一緒に祈りました。

シンプルに「悪霊よ、離れていけ」と祈りました。

すると、その瞬間、現実が変わったんです。

そのずっと、ネガティブに考えていた人が、急に明るくなって、「なんで、あんなこと考えてたんだろう」と言い始めたんです。
そして、そこにはもう一人、一緒に愚痴を言ってたクリスチャンがいたんですが、みんな、神様を賛美し始めたんです。

もちろん、これは神に導かれたことで、同じようなことが起こったら、必ず悪霊に対して祈らないといけない訳ではないです。
そうしない方が良いこともたくさんあります。
悪霊のせいじゃなくて、単純に人間の弱さからくるものだったり、しょうがない時もあります。

でも、ここで大事なのは、祈ったら、神の力が働いたということです。
それを僕が実際に体験したことです。

体験したので、初めて、頭の知識が、
「ああ、キリストの御名に力があるんだ」
「御名による祈りって聞かれるんだ」
「悪霊って、キリストより弱いんだ」
「人って一瞬で解放されるんだ」

なので、それ以降、祈るようにしています。

病気の人がいれば癒しを祈ります。
悪霊の攻撃を受けている人のために祈ります。

祈っても、何も起こらないこともあります。
祈りは呪文じゃないからです。

でも、祈りは無料です。少なくても心の中で祈れば、相手もつまづくことはありません。

イエス様はペテロに「下がれサタン」って言いましたが笑

僕らも、もしかして、そうするときもあるでしょうが、しなくても大丈夫です。

終わりに

弟子の使命とは何でしょうか?

「キリストの福音を(神の力によって)宣教すること」

それは、イエス様がされたように、福音を宣べ伝え、御名の権威によってキリストの力を証していくことです。

メシアであるイエス様は、失われたものを探し出し、永遠のいのちを与えるために来られました。
そして、十字架と復活により、私たちに救いの道が開かれました。
このお方を受け入れ、信じるならば、私たちは罪が赦され、新しいいのちが与えられ、神の国に入ることができる。

そして、聖霊の力と御名の権威よって、私たちは神の国の力を表していくことができるのです。

今日、私たちは自分自身に質問したいと思います。
「私たちは、イエス様の福音を宣べ伝え、イエス様が生きていることを証しているでしょうか?」

  • ①口先だけクリスチャン
  • ②議論好きクリスチャン
  • ③自分の力クリスチャン

にならないようにしましょう。

そのために、私たちがするべきことは一つ。

「(神さまを)信じて、やってみる」

今週、実生活の中で、やってみましょう。
祈りから初めてみましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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