16 いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
聖書(マタイ10:16-23)
17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。
18 また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。
19 人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。
20 話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。
21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
23 一つの町で人々があなたがたを迫害するなら、別の町へ逃げなさい。まことに、あなたがたに言います。人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません。
はじめに
皆さんは、詐欺にあったり、騙されたりした経験ってありますか?
絶対に騙されないと思っている人ほど、簡単に騙されたりします。
最近、危うくログイン情報取られそうになったのは、amazonから来たショートメッセージです。
なんか、プライム会員がきれるから更新してくださいみたいな感じで、URLがあってアマゾンにログインさせるやつ。
こういうふうに聞いたら、「怪しいだろ」と思うかもしれないけど、数年前にきた時は、寸前で気づきました。
人を安易に信頼し、騙され、裏切られた経験ってかなり傷付きますね。
でも、一方、人を信頼できないということも、同じくらい不幸なの知ってましたか?
ネットを見れば、人を信頼できないで悩んでいる人が多くいることがわかります。
いつも疑っていれば、なかなか人と深い関係って築けませんからね。
じゃあ、どうすれば良いのでしょうか?
人を信頼しつつ、用心することはできるのでしょうか?
実は、できるんです。
そして、これは、クリスチャンこそ、身につけるべき重要な態度なんです。
信頼しながら用心をする
なぜ、クリスチャンこそ、身につけるべき態度なのでしょうか?
早速、イエス様の言葉を見てみましょう。
16 いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
聖書(マタイ10:16)
クリスチャンとは、「狼の中に送られる羊」であるというんです。
どういうことか?
狼は、羊の力では防ぎきれない大敵です。
これは、私たちの現実を表しています。
クリスチャンになっても、サタンの力に負けるし、誘惑や罪にも弱いのが私たちです。
世の中の誘惑や試練の中で、私たちは、時に騙され、傷付き、失敗を犯します。
そんな私たちに、イエス様は「キリストの弟子の心得」を伝えます。
「キリストの弟子の心得」とは、この箇所の後半にあります。
16 いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
聖書(マタイ10:16)
「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」
これは一体どういう意味なのでしょうか?
今日は、この2つの言葉の意味を見ていきます。
①蛇のように賢い=世の中を見極め、神に賢く従う
「蛇のように賢く」の「賢い」の(フロニモス)は、「洞察する」「物事を見極める」という意味があります。
つまり、世の中を洞察し見極めなさいという意味です。
蛇のようにとは、強調表現です。
蛇にエバを騙したサタンのイメージがあるくらい、クリスチャンはその上を行くくらい賢くなれというメッセージです。
この世の中にはたくさんの偽りがあります。
根拠のない、間違った教えがたくさんあります。
例えば、結婚前に性的な関係を持っていいですか?という問いに対して、いろんな人が意見を持っています。
結論は、その人次第ということになるので、流されてしまいます。
最近の流行りは陰謀論です。
陰謀論にははっきりとした根拠がありません。
根拠の根拠が乏しいのです。
なぜ?と言われた根拠がインターネットの話であれば、学術的、科学的には非常に厳しいです。
科学者が論文を書いて、その根拠がウィキペディアだったら、誰が信じるでしょうか?
でも、ネットの世界では、誰が、いつ、どこから、何の目的でその情報を載せているかが、多くの場合、確かめようがありません。
もちろん、いろいろなデータも載せているサイトもあるでしょうが、統計は見方によって変わり、情報というのは、操作できることを知っておくべきです。
数年前に流行った衝撃的な本があります。
『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(日経BP社)
この本の要点は、「賢い人ほど、とんでもない勘違いをしている」ということです。
たとえば、こんな質問です。
質問① 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる?
- A 20%
- B 50%
- C 80%
「C80%」が正解。
質問② いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?
- A 20%
- B 50%
- C 80%
「C80%」が正解。
どの質問も、大半の人は正解率が3分の1以下で、ランダムに答えるチンパンジーよりも正解できないとのことです。
しかも、専門家、学歴が高い人、社会的な地位がある人ほど正解率が低いらしいです。
何が言いたいか?
それだけ、私たちは騙されやすいということです。
じゃあ、話を戻して、なぜ、私たちは根拠の乏しい、陰謀論をさける必要があるのでしょうか?
第一に、その根拠が聖書に書いていないからです。
反キリストが現れることは書いていますが、いつか?誰か?どうやって?は書いていません。
次に、それらは争いを引き起こすからです。
愚かで無知な議論は、それが争いのもとであることを知っているのですから、避けなさい。
聖書(2テモテ2:23)
陰謀論で教会が分裂しています。クリスチャンの間でも分裂しています。
これは、愚かであり、恐ろしいです。
逆を言えば、ある陰謀論を信じていて、その結果、人々との関係が壊れるなら、サタンや悪霊に騙されているとも言えるのです。
なので、私たちは世の事柄に対して、慎重に見極められるように、賢くなる必要があるのです。
では、どうやったら、蛇のように賢くなることができるのでしょうか?
それも聖書に書いています。
主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。
聖書(詩篇19:7)
主のおしえ。つまり、聖書の言葉です。
だから、聖書をしっかり学び、聖書に書いていないことには沈黙を貫きましょう。
聖書の解釈についても、自分勝手な解釈はやめましょう。
聖書の中心メッセージを理解し、文脈を大切にしましょう。
賢い人は、御言葉に対しても、慎重に向き合います。
この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
聖書(使徒 17:11)
つまり、蛇のように賢いとは、
「世の中に対しては慎重に見極め、神に対しても慎重に従う姿勢を」表しているのです。
②鳩のように素直=世の中に迎合せず、神に素直に従う
16 いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
聖書(マタイ10:16)
「素直」の(アケラィオス)は、不純物が混ざっていない状態を意味します。
つまり、世の中に迎合しないということです。
迎合とは、世の中の価値観や考えに妥協し、混ざり合うことです。
素直な人は、世の中の教えに、ホイホイ騙されそうですが、本来の意味は違うのです。
世の中に全く混ざっていないのが、ホンモノの信仰者です。
ピリピ書には、同じギリシャ語が素直ではなく、純真と訳されています。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
聖書(ピリピ2:15)
鳩のような素直さとは、非難されないほどの純真な信仰者ということです。
同時に、鳩のような素直さは、騙されることはありません。
なぜでしょうか?
悪に疎いからです。
ローマ書では、このギリシャ語は、悪に「うとい」と訳されています。
あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。
聖書(ローマ 16:19)
つまり、悪事に対しては関わらない。罪とは遠い生活です。
善には敏感で積極的だけど、悪いことには無関心なのです。
なので、ヤバそうなことには近づきません。
誘惑が来ても、深入りしません。
いや、そもそも、誘惑がありそうな場面に遭遇しないのです。
このような、鳩のような純真さは、どうやって身につくのでしょうか?
それは、世の中の人に素直になる結果ではなく、神への素直な信仰なのです。
ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
聖書(ヤコブ1:21)
実は先ほどの読んだ、使徒17:11には、蛇のように賢いだけではなく、鳩のように素直であったことが書いています。
この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
聖書(使徒 17:11)
つまり、素直にみことばを聞きつつ、それが本当か調べる姿勢は全く矛盾していないということです。
迫害があるから守りがある
つまり、弟子の心得は、
- ①蛇のような賢さ→世の中を見極め、神に賢く従う
- ②鳩のような素直さ→世の中に迎合せず、神に素直に従う
この一見矛盾するようなことを同時に身につけることなのです。
神学者カール・バルトは「片手に聖書を、もう一方の手には新聞を持って」と言いました。
順番は、聖書が先です。
聖書を通して、新聞を理解するのです。
なぜ、弟子にはこのような心得が必要なのでしょうか?
それは、私たちが生きていれば、迫害があるからです。
それをイエス様は、羊が狼に食べられるよという例えをしたのです。
キリストの弟子なら、100%迫害を受けます。
迫害がない弟子は存在しません。
17節以降には、弟子たちが受ける迫害が、イエス様によって預言されています。
17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。
聖書(マタイ10:17-18)
18 また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。
21節には、家族の不和も起こり得るとあります。
21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
聖書(マタイ10:21)
要するに、22節です。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
聖書(マタイ10:22)
「すべての人に憎まれる」のです。
ここまで聞いたら、誰もキリストの弟子にはなりたくありませんね。
イエス様は、そうしてください。パウロも尊敬します。
でも、僕はできません!嫌です!
そこまでして、弟子になりたくありません!
皆さん、安心してください。
逆を言えば、神の言葉に対して、素直に聞き、慎重に実行すれば、狼の群れの中でも大丈夫だということなのです。
逆に、例えばどんな迫害や困難があっても、私たちは乗り越えられるよというイエス様の約束の言葉なのです。
19 人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。
聖書(マタイ10:19-23)
20 話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。
21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
23 一つの町で人々があなたがたを迫害するなら、別の町へ逃げなさい。まことに、あなたがたに言います。人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません。
心配するな。救われるから。逃げてもいいよ。
よく読んでみると、こんなフレーズがあるんです。
コーチングしている方の話。
いつも、困難がありネガティブになっていた人。困難がなくなるように祈っていました。
でも、話しを聞いていくと、実は、困難があっても動じない自分に変わりたいという思いがあることに気づきました。
そのように、祈ったら、とてもポジティブに困難を見ることができるようになったのです。
私たちが例えキリストの弟子でなくても、言ったらクリスチャンではなくても、世の中の困難は変わりません。
しかし、クリスチャンは、たとえ、総督の前に連れて行かれても、家族に憎まれても、例え世界中の人に憎まれても、乗り越えられるということなのです。
皆さんそんな人になりたくないですか?
少し走っただけで、足がつったり、疲労骨折する軟弱な身体より、フルマラソンができる健康的な体の方がいいでしょう。
心も、少しの言葉で傷ついてすぐ寝込んでしまうより、強くしなやかなメンタルを持ちたいでしょう。
信仰も同じです。いつも、困難に怯えて、悪霊の攻撃や誘惑に支配されるクリスチャンではなく、キリストにあって、しっかりと立ち、惑わされず、他の人を導けるクリスチャンになりたくないでしょうか?
なれるんです。
どうやって?
それが、今日のポイント。
イエス様が弟子に語った弟子の心得。
「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」
ということなんです。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
聖書(ヨハネ16:33(新改訳三版))
終わりに
今日のポイント。
イエス様が弟子に語った弟子の心得。
「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」
- ①蛇のような賢さ→世の中を見極め、神に賢く従う
- ②鳩のような素直さ→世の中に迎合せず、神に素直に従う
クリスチャンになっても、サタンの力に負けるし、誘惑や罪にも弱いのが私たちです。
しかし、「羊」 のような私たちは羊飼いであるイエスさまに頼ることができます。
そのイエス様が、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」と言ってくださっています。
すぐ騙されるものでなく、勇敢に世の中に影響を与える私たちになれるよう、祈っていきましょう。