今回は、心配・臆病は罪ですか?黙示録21章8節の意味「臆病な者…たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて4年のこうきさんがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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心配、臆病は罪ですか?
今日のテーマは、心配、臆病は罪? というテーマです。
まずは黙示録21章8節を読みます。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
聖書(ヨハネの黙示録 21章8節)
この箇所から、臆病な者、つまり心配する者は地獄に行く可能性があるということでしょうか?という質問でした。
こうきさんはどう思いますか?
そういう風に読んだことなかったな、と思って少し驚きました。
そうなんですね。じゃあここは、どんな風に読めばいいんでしょう?
まずは、臆病な者=心配する者ということではないような気がしました。
ここでいう臆病な者というのは、不信仰な者、忌まわしい者などと並んで書かれているので、神の義を守れてない人たちのことを言っていると思いました。
臆病=心配になるのか? というのは、何を心配するのかによるのではないかと思いました。
素晴らしいですね。私も、心配・臆病が罪かどうかが問題なのではなく、何を心配し、何に臆病になってるかというのが重要なのかなと思いました。
本来、神さまがいれば心配する必要はないはずなので、不信仰レベルの心配だったら罪になり得るでしょう。なぜなら、不信仰は罪だからです。
神がいないという前提で心配してる人は、救われてないので天国に行けません。
神がいるとわかっていたら、心配は本当はしないはずですが、でも私たちは心配しちゃいますよね、程度の問題です。
結論を言うと、心配・臆病は感情であり、罪ではありません。ただし、罪に繋がる可能性があります。
結論:心配・臆病は感情であり罪ではない。ただし、罪につながる可能性がある。
例えば「怒り」が罪かどうかと同じことです。
怒りは、感情ですよね。イエスさまも怒りました。エペソ4章26節には次のように書かれています。
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。
聖書(エペソ人への手紙 4章26節)
つまり、怒っても罪を犯してはいけないということは、怒りは罪ではないということです。ただし、怒りが罪に繋がる可能性は高いです。カインは怒って人を殺しました。
また、聖書の他の箇所には「神は心配する」とあります。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
聖書(ペテロの手紙 第一 5章7節)
本当ですね、神さまが心配してます。
はい、なので心配=罪ではないです。誰かのことを思って「あの人、大丈夫かな」と思い気にかけるは、哀れみの行為です。
「自分のいのち、どうなるだろう、天国行けるのかな、救われてるのかな」と心配するのは、不信仰ですよね。そのことについては聖書の中に明確に書かれていて、心配する必要はありません。
また他の箇所では、パウロも心配しているんです。第2コリント12章20節の前半です。
私は心配をしています。そちらに行ってみると、あなたがたは私が期待したような人たちでなく、私もあなたがたが期待したような者でなかった、ということにならないでしょうか。
聖書(コリント人への手紙 第二 12章20節 前半)
皮肉たっぷりで言ってますが、他のクリスチャンを心配しています。
つまり、何を心配してるのかということが重要なので、心配、臆病だから地獄に落ちるという意味ではありません。
まとめ
Q .心配・臆病は罪ですか?(黙示録21章8節より)
A .心配は感情であり、罪ではありません。怒りにも同じことが言えます。
何に心配しているのかが重要です。「神さまがいるから私は大丈夫」と思っている人は、大丈夫です。黙示録の「臆病な者」とは、神さまを信じずに臆病になっている人のことをさしています。
聖書には、神さまが私たちのことを心配していたり、クリスチャンでも隣人のことを心配していた箇所がたくさんあります。イエスさまは、明日の心配は明日するから、今心配しないようにと話される箇所もあるので、クリスチャンであっても心配してしまうことを、理解してくださっているお方です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。