古代ギリシャでは、「愛」という言葉には4つの種類があったそうです。
① エロス(eros)=男女間の愛
野心に燃える情熱、強い愛国心
「強烈だが長続きしない」
② フィリア(philia)=友達や夫婦間の愛
友情、信頼や結束、連帯感
「近い者や親しい者だけ」
③ ストルゲー(storge)=血縁に基づいた家族愛
親子や兄弟の間
「強く広さがない」
聖書は、神の愛アガペーは、無条件でいのちを捨てるほどの完全な愛だと言っています。
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
聖書(ヨハネ15:13)
この愛を4番目
④ アガペー(agape)=神の愛
無条件の愛、無償の愛、自己犠牲の愛
と言います。
神は御子イエス・キリストを遣わし、十字架につけて死なれました。
それは、友と呼ばれる私たちの罪の身代わりとなるためです。
私たちが犯した過ちの罰を受けられ処刑されました。
それは、罪のあらゆる被害や苦しみから解放するためでもありました。
天の父なる神は、私たちのためになら命を犠牲にしてもよいくらい愛しておられます。
人間の愛と、神の愛の違いを一言で表すなら、「条件付きかどうか」です。
私たちも、普通は自分によくしてくれたら愛しますが、自分をいじめる人は愛さないですよね?
だからこそ、無条件のアガペーの愛をもった親もこの世に存在しません。
なので、私たちの両親も、どこかで私たちに条件を持っていた可能性があるのです。
「親に愛されるために〇〇する」
「親に愛されるために〇〇しない」
しかし、神の愛は、無条件の愛です。
私たちが何をしても、しなくても、最初から、無条件で「あなたを愛しているよ!」と笑顔で言ってくださるのが、聖書の父なる神なのです。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
聖書(ローマ 5:8)
もちろん、ここでの「愛」のギリシャ語はアガペーです。
今まで、条件付きの愛の中で生きてきた私たちですが、神のアガペーの愛は次元が全く違うものであることを信じましょう。
そして、この愛をたっぷり経験するならば、過去に両親から受けた傷や、満たされない心が癒されます。