私は、小学生の時に両親が離婚し、ずっと母子家庭で育てられました。
地上での父親との親しい関係がないと、神様との関係にも影響を与えます。
聖書は、目に見えない神は「父さん!」と呼べる親しい関係であると言っています。
そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
聖書(ガラテヤ4:6)
アラム語の「アバ」は古代イスラエルで、子どもが父を呼ぶ時に使った親しみを込めた言葉です。
ヘブライ語では「アブ」で、アブラハムの名前は、「多くの国民の父」という意味です。
イスラエルでは今でも、子どもが父親を「アバ」と呼びます。
実際、母を呼ぶ「イマ」より頻繁に耳にするそうです。
子供が「アバ!」とお父さんを呼ぶ土台は、父親からたっぷり受けた愛です。
イスラエルのお父さんたちは、子どもたちと深く関わり、公共の場でも人の目を気にせずに愛情を表現します。
もし、私たちが「父さん!」と笑顔で呼んでも、「うるせーな」と言われたり、と嫌な顔されたら、呼ぶことすらも気を遣うようになります。
大学生の時に聖霊を体験してから、表情がぎこちない自分や、心の奥にある違和感を感じるようになりました。
その後、自分には父親からの「愛情表現」が欠如していたことに気づきました。
「愛しているよ」という言葉を直接聞いた記憶がありません。
ハグやスキンシップもあまりありません。
おもちゃを買ってくれたり、言葉以外でたくさん表現してくれたことは感謝しています。
間接的な愛情表現は日本では当たり前なのかもしれません。
でも、正直、「愛情表現して欲しかった」と叫ぶ心の中のベイビー結樹がいたんです。
問題は、この関係が神様との関係にも影響を与えるということです。
では、僕みたいな人はどうやって、神様を親しく呼べるようになるのでしょうか?
聖書は、「父さん!」と叫ぶキリストの霊がうちにおられる。と言っています。
自分が生み出すのではなく、心に与えられると。
もし、今、神様との関係に親しみを感じない方。
神様に対して笑顔で「お父さん!」と語りかけれない方。
祈りが無機質で宗教的に感じる方。
2つの事を祈りましょう。
- 父よ!と叫ぶ霊が心に与えられている事を体験できますように。
- 神様からの愛情をたっぷり経験できますように。