「あー、なんで、自分の人生こんな風になっちゃったんだろう…」
なんて、誰でも大なり小なり人生のリセットボタンを押して、人生やり直したいと後悔する瞬間があります。
聖書は、私たちがキリストを信じた時、神に子どもとして生まれ変われると言っています。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
聖書(ヨハネ1:12)
ヨハネの福音書では「神の子どもとなる」とは霊的な意味で「新しく生まれるかわる」という意味があります。
別に、自分がなくなっちゃうわけではありません。
全治全能の神の子どもというパワフルなアイデンティティが人生の根幹になるのです。
なぜ、私たちは「生まれかわりたい」と人生をリセットしたくなるのでしょうか?
それは、思い描いた理想と現実のギャップを感じるからです。
あの時、こうすればよかった。しなければよかった。
もっと、可愛くなりたかった。もっと、頭よく生まれたかった。
これらの後悔は、結果によって自分の存在価値を高めようとすることから来ます。
聖書は、逆です。
「神の子」という最高の存在価値があるので、何をしても後悔することはなくなるのです。
人生において重大なのは私たちが何者であるかで、生きた結果ではないのです。
僕は小学校の時、背が小さくよくいじめられました。
学校帰りに、泣きながら家に帰ると母親はいつも、「どうしたの?かわいそうに…」と無条件で味方になってくれました。
これは、家に帰れば無条件で「愛される」子どもの特権です。
自分のお父さんが、神であって、私のことを「目に入れても痛くないほど、あなたを愛している」って言ってくれているなら、他の誰に「お前はダメなやつだ」とか外見や中身を判断され、拒絶されても、大丈夫です。
事業に失敗しても、自分の過失によって問題を抱えても、私たちには帰る家があるのです。
そこには、父なる神が、両手を広げて、私たちを待っておられるのです。
条件が一つあります。それは、
イエスが神であることを信じた人です。
とても簡単ですね。