最近では「アンガーマネジメント」と呼ばれる、「怒りをコントロールするスキル」を学ぶ人や研修に取り入れる企業も多くなってきました。
一度でも怒ると、交感神経がガッと上がって、他の物事に集中できなくなったり、イライラが治るまで時間がかかるなどデメリットが大きいからです。
聖書も「怒り」に身を任せるのではなく、「怒り」をコントロールする重要性について語っています。
愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。
聖書(新改訳第三版箴言29:11)
その人が愚かであるか、知恵があるかは、怒りをコントロールできるかによって測られます。
愚かなものは、怒りをぶちまけ、争いを引き起こし、他人に危害を加えます。
しかし、知恵のあるものは、怒りを内におさめます。
「おさめる」と訳されたべブル語は、暴風や大波が静まる状況を表しています。
なので、ここで矛盾を感じるわけです。
暴風や大波をおさめることのできる人間なんていないじゃないか。
ある専門家は、怒りっぽい人の脳内は「てんかん発作」と同じメカニズムだと言っています。
つまり、怒りをコントロールすることが不可能に近いと言うことです。
聖書で、暴風をおさめた唯一の人が出てきます。
それは、神の御子キリストです。
イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
聖書(マルコ 4:39)
嵐と同じように怒りをコントロールするのは神様の力なくしては不可能です。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
聖書(ガラテヤ5:22-23)
御霊の実とは、神の霊である聖霊の力によってのみ人間関係で結ばれる「良い行い」です。
この中の「自制」とは、英語でセルフコントロールといい、まさに怒りをコントロールする力が神の力によって与えられることを意味しているのです。
自分の力で怒りをコントロールするのを諦めましょう。
正しい方向は、神の力によって自制すること。
神に助けを求めて乗り越えることです。