「ありのままの〜」という曲がブレイクしましたよね。
ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の主題歌です。
みなさんは「ありのままの姿」を人の前で出せますか?
普通は「ありのままの姿」を出せば、人に変に見られたり、嫌われたりするので少なくても仮面をかぶって生きています。
そりゃ、家に帰ったら靴下を脱ぎっぱなしにして、すぐにテレビをつけるような「ありのまま」の自分を会社でやったら、評価はガタ落ちでしょう。
では、ちょっと、質問を変えてみます。
今の自分の「ありのままの姿」にOKを出せますか?
聖書は、私たちの自己肯定感は、神様の愛が土台になると言っています。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
聖書(イザヤ43:4前半)
神様の愛に条件はありません。
私たちのありのままの姿を愛しておられるのです。
聖書は、イスラエルの民の歴史でもあります。
神様によって選ばれた、イスラエル民族が、神様の前でどのように振る舞ったかが書かれています。
一言でいうと、失敗と反逆の歴史でした。
神様が特別に選び、愛したのにもかかわらずです。
最終的に、神様は御子イエスキリストをメシヤとして、イスラエルに遣わします。
彼らを救うためです。
しかし、イスラエルの民は、神であるイエスを十字架につけました。
では、神様はイスラエルを見捨てたのでしょうか?
聖書を読むと、決して見捨てていないことがわかります。
もちろん、彼らは民族として、反逆と、罪深い行動を刈り取ることになります。
しかし、ありのままのスラエルの民を愛する神様は、彼らの行動によって嫌いにはならないのです。
私たちも、同じです。
自分の嫌な部分がありますか?
神様は、その短所をひっくるめてあなたが大好きです。
先ほどの聖書の箇所には続きがあります。
だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
聖書(イザヤ43:4後半)
私たちの反逆や失敗、すべての罪の罰を代わりに受け、十字架で死なれるほどに私たちを愛しておられるのです。
これは、神様が私たちの「ありのままの姿」を愛しておられる証拠ではないでしょうか?