はじめに
今日は、世の終わりの「イスラエルの役割」について説明します。
最近は、イスラエルの学びや祈り会が多くなっているように思います。「ヘブライ的解釈」や「置換神学」などという言葉もよく耳にします。だからと言って、すべての教会や神学校が、同じことを教えているわけではありません。聖書に出てくるイスラエルを、教会に当てはめたりと、解釈は多様です。1948年に建国した現代イスラエルは、聖書のイスラエルとは別のものだという学者もいます。
なぜ、このように解釈が分かれるのか?それは、1948年にイスラエルが建国したからだと思います。
考えてみてください。それまでは、イスラエルという国が地図上に存在しなかったのです。もし、その時代に生きていたら、聖書に出てくるイスラエルを、現実の状況で理解するのって簡単ではないはずです。しかし、1948年以降は、聖書の預言が現実とリンクし始めて、「あ、聖書のイスラエルに対する預言って、もしかして現代のイスラエルを通して成就していくんじゃね?」と気づき始めているのです。このメッセージを読むと、現代のイスラエルが、再臨の条件となっていることが理解できるようになります。イエス様が言っていたことが、現実とリンクするので、世の終わりにどのように再臨が起こるのかを想像できるようになります。
再臨の条件
今日の結論を一言でいうと、「再臨の条件はイスラエルがイエスをメシアとして受け入れること」です。
① 大患難時代を通るイスラエル
8 全地はこうなる──主のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。
聖書(ゼカリヤ13:8-9)
9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」
これはイスラエルの預言です。イスラエルの2/3が死んでしまって、人口の1/3だけが生き残るということです。これがいつ起こるのか?いつ起こったのかは3つの説があります。
A. AD70年ローマ軍のエルサレム占領によって実現した(多くの注解者)
B. バル・コクバの反乱を含めたユダヤ人の歴史をも含む
C. 終末を含む
現代のユダヤ人の解釈は、Bに近いです。20世紀のホロコーストで、ヨーロッパにいた3分の2のユダヤ人、すなわち600万人が殺されたことを指して、この預言はすでに成就したと言っています。私はCの終末預言を含むと考えます。
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
聖書(ゼカリヤ12:10)
この前の章の12章では「自分たちが突き刺した者」を見て、嘆くとあるので、これは、終末の大患難時代にイエスがメシアであったことに気付いて悔い改める場面だからです。その流れでの13章なのでここでの「わたしの名」とはイエスの御名なのです。
彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言
聖書(ゼカリヤ13:9)
い、彼らは『主は私の神』と言う。」
大患難時代の後半、戦争が起こり、3分の2のイス ラエルの民が死に、生き残った3分の1が荒野に逃げます。この人たちが「銀を練るように、金をためすように」 されながら大患難を通るのです。
② 悔い改めるイスラエル
大患難時代、イスラエルの民は、世界中に取り囲まれます。もはや助けてくれる 国もなく、孤立し、窮地に追い込まれていきます。
その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。
聖書(ゼカリヤ12:3)
その中で、自分たちが2000年前に十字架につけたイエスがメシアであることに気づきます。そして、悔い改めるのです。
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
聖書(ゼカリヤ12:10)
もちろん、キリストを殺したのは私たちを含む、全人類です。私は2000年前にいませんでしたが、私の罪がイエスを十字架につけました。もし、そこに私の罪が含まれていないなら、イエス様が、私の罪の身代わりになっていなかったことになります。私の罪が含まれているからこそ、私たちは悔い改め、救いを受け取れるのです。
だからこそ、私たちはユダヤ人だけが「キリストを殺した」とは言えません。しかし、私たち異邦人は「キリストを突き刺した者」ではありません。「ひとり子を失って嘆くかのように」とは、めちゃくちゃな悲しみです。彼らの先祖が犯した過ちや、キリストを悪魔のごとく見なしてきた自分たちの過ちに気付かされる時が来るのです。そして泣き崩れるのです。
③ イエスの御名を呼ぶイスラエル
イエスキリストは、天に戻られる前に、このように預言されました。
わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
聖書(マタイ23:39)
お前たちとは誰のことでしょうか?マタイの福音書23章を最初から読んでみると、これはイエス様が律法学者とパリサイ人たちに対して語られた言葉です。
わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。
聖書(マタイ23:13)
律法学者とは、イスラエルの民に律法を教える宗教の指導者です。当時、律法学者のほとんどが、パリサイ派に属していました。なので、「パリサイ派の律法学者」(マルコ2:16)と言った方が適切かもしれません。彼らは、現代イスラエルでは、ユダヤ教超正統派であると言われています。
2000年前、イエス様はメシアとしてイスラエルに来られました。その中で、12弟子を初め、イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人はいました。しかし、当時の指導者であった律法学者やパリサイ人が、「イエスはメシアではない」と代表して拒んだため、イスラエル全体としてはイエスをメシアとして拒否したことになっています。
ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、
聖書(マタイ 21:15)
聖書は、ユダヤ民族を常に民族単位で扱っています。しかし、再臨の直前に、この律法学者やパリサイ人、つまり現在のユダヤ教超正統派たちが、イエスをメシアとして受け入れるのです。このユダヤ教指導者が認めた時、イスラエルは民全体として、イエス様に対して詩篇を叫ぶのです。
祝福あれ 主の御名によって来られる方に。私たちは主の家からあなたがたを祝福する。
聖書(詩篇 118:26)
それが、マタイでイエス様がおっしゃった再臨の条件です。ゼカリヤ書にも同じように書いています。
9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」
聖書(ゼカリヤ13:9)
こうして、イスラエルのメシア、全世界の王であるイエス様が再臨されるのです。
まとめ
まとめましょう。
再臨の条件は何か?
「イスラエルがイエスをメシアとして受け入れること」です。
1 大患難時代を通るイスラエル
2 悔い改めるイスラエル
3 イエスの御名を呼ぶイスラエル
これらは、今は起きません。大患難時代の最後に起きます。では、私たちは何をすれば良いのでしょうか?
祈りです。大患難時代に入る前に、イエスをメシアとして受け入れるユダヤ人が起こされるように祈りましょう。また、大患難時代を通ったユダヤ人が、イエスをメシアとして受け入れることができるように祈りましょう。
読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます。
参考資料:シリーズイスラエルの歴史と日本のリバイバルの関係Vol.1 聖書預言はどう実現しているのか /スティーブンス・栄子 / オメガ出版 使用画像元: Pixabay, Unsplash By Deror avi – Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index… By Maya-Anaïs Yataghène from Paris, France – Petra, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index…一部を表示