【人生を変える聖書のメッセージ#28】なぜ教会は分裂するのか「キリスト派もやばい?」(コリント人への手紙第一1章10-17節)

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はじめに

コリント人への手紙は、パウロがコリントの教会あてに書いた手紙です。

コリントは、今でいうギリシャにある町です。当時は、ローマの植民地であり、ユダヤ人を含む様々な民族が住んでいました。美と性の女神アフロディト神殿があったり、哲学と修辞学の学校があったり、様々な民族だけではなく、多種多様な考えも入り混じる町です。そんなコリントにある教会に、パウロはどのような目的を持って手紙を書いたのでしょうか?

10 さて、 兄弟たち。 私は、 私たちの主イエス・キリストの御名によって、 あなたが
たにお願いします。 どうか、 みなが一致して、 仲間割れすることなく、 同じ心、 同じ
判断を完全に保ってください。

聖書(コリント人への手紙第一1:10)


挨拶も早々に、パウロはコリント教会の一致を求めました。

コリントの教会の分派

コリント人への手紙第一1章11節を見ると、クロエという人の家の者が、パウロにコリントの教会で争いが起こっていると伝えました。

11 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。 兄弟たち。 あなたがたの間には争いがあるそうで、

聖書(コリント人への手紙第一1:11)


クロエとは、パウロと関わりのあったエペソとコリントを行き来するビジネスウーマンです。では、どのような争いなのでしょうか?

12 あなたがたはめいめいに、 「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。

聖書(コリント人への手紙第一1:12)


これは、「分派」の問題です。様々な背景や考えを持った人々がいたコリントの教会には色々な問題が起こっていて、その一つが、この「分派」でした。実に、コリント人への手紙の4:21まで、この分派について書かれているので、どれほど大きな問題だったかがわかります。コリント教会には4つの派閥がありました。パウロ派、アポロ派、ケパ派、キリスト派です。

① パウロ派


パウロ派は、ユダヤ教の行き過ぎた律法主義と、伝統的なギリシャ哲学思想に拒否感を持っていた人々であったと思われます。実際に、コリントにいた頃、パウロは一部のユダヤ人に「律法の捉え方」の違いから、迫害を受けていました。

12 ところが、 ガリオがアカヤの地方総督であったとき、 ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、 彼を法廷に引いて行って、
13 「この人は、 律法にそむいて神を拝むことを、 人々に説き勧めています」と訴えた。

聖書(使途の働き18:12-13)


また、イエス様を信じていたユダヤ人の中にも、割礼を強制する人がいたようで、パウロはそれにも抗議しました。

4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、 キリストから離れ、 恵みから落ちてしまったのです。
5 私たちは、 信仰により、 御霊によって、 義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
6 キリスト・イエスにあっては、 割礼を受ける受けないは大事なことではなく、 愛によって働く信仰だけが大事なのです。

聖書(ガラテヤ 5:4-6)


パウロ派の人々は、パウロが宜べ伝えるイエス様の福音は、ユダヤ教の伝統、他のどんな思想にまさり、パウロは自分たちの立場を弁護してくれるはずだと考えたようです。

② ケパ派(ペテロ派)

このパウロ派と衝突したのが、おそらくケパ派でしょう。「ケパ」 はイエス様の12弟子のペテロのアラム語名です。
つまり、ケパ派はペテロ派です。ペテロは、ユダヤ人のための使徒としておもに働き、ユダヤ教の伝統の中で、キリストの真理を解き明かしました。しかし、ペテロはしばしば、ユダヤ教の伝統に縛られてしまうことがあり、パウロに非難されました。

11 ところが、 ケパがアンテオケに来たとき、 彼に非難すべきことがあったので、 私は面と向かって抗議しました。
12 なぜなら、 彼は、 ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、 その人々が来ると、 割礼派の人々を恐れて、 だんだんと異邦人から身を引き、 離れて行ったからです。
13 そして、 ほかのユダヤ人たちも、 彼といっしょに本心を偽った行動をとり、 バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
14 しかし、 彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、 私はみなの面前でケパにこう言いました。 「あなたは、 自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、 異邦人のように生活していたのに、 どうして異邦人に対して、 ユダヤ人の生活を強いるのですか。

聖書(ガラテヤ2:11-14)


ケパが、ケパ派の 人々に完全に同意していたかどうかは別として、彼らはケパが自分たちの立場を最もよく代弁してくれると信じていました。

③ アポロ派

パウロとペテロとは少し毛色の違うグループがありました。アポロ派です。アポロ派は、学問的な性向が強く、哲学と修辞学を尊び、知識と話術を重視する人々が多かったようです。アポロは、 学問の都市エジプトのアレキサンドリヤで生まれたユダヤ人で、ヘレニズム教育を受け、雄弁で、聖書に通じていました。彼は、早くから主の道を学び、福音を熱心に伝えてましたが、彼が語るのを聞いたプリスキラとアクラは、彼の知識に限界があることに気づきました。
それで、この夫婦は、神の道をもっと正確にアポロに説明してあげました。その結果、 アポロはさらに聖霊に満たされて、大衆の前でイエスがキリストであることを力強く証明し、ユダヤ人たちとの論争でも全く引けをとらない人物となりました。

24 さて、 アレキサンドリヤの生まれで、 雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来
た。 彼は聖書に通じていた。
25 この人は、 主の道の教えを受け、 霊に燃えて、 イエスのことを正確に語り、 また教
えていたが、 ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。
26 彼は会堂で大胆に話し始めた。 それを聞いていたプリスキラとアクラは、 彼を招き
入れて、 神の道をもっと正確に彼に説明した。
27 そして、 アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、 兄弟たちは彼を励まし、 そ
この弟子たちに、 彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。 彼はそこに着くと、 すで
に恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。
28 彼は聖書によって、 イエスがキリストであることを証明して、 力強く、 公然とユダ
ヤ人たちを論破したからである。

聖書(使徒 18:24-28)

ここで、大事なことは何でしょう。パウロ、アポロ、ペテロがそれぞれの分派を作ったわけではないということです。
コリントの教会員たちが勝手に、自分の考えに最も近い、納得のいく、もしくは自分が好きなリーダーを支持したということです。

私たちもこれを他人事にはできません。やはり、それぞれが違います。年齢が違います。背景が違います。性格が違います。経験が違います。賜物が違います。メッセージのスタイルも違います。兄弟姉妹で交わる時に、教会の話になることもあります。そして、気づいたら、牧師の話になることも少なくないのではないでしょうか?「あの先生はこうだ」と評価して見たり、「あの先生はここが良くて、あの先生はここがちょっとね」と比較するかもしれません。政治でも、~~派というのはよくあるし、教会も人の集まりなので、やむ終えないように思えます。しかし、問題は、そういう小さいところから、分派が起こる可能性があるということです。聖書は分派を強く断罪しています。

19 肉の行いは明白であって、 次のようなものです。 不品行、 汚れ、 好色、
20 偶像礼拝、 魔術、 敵意、 争い、 そねみ、 憤り、 党派心、 分裂、 分派、
21 ねたみ、 酩酊、 遊興、 そういった類のものです。 前にもあらかじめ言ったように、
私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。 こんなことをしている者たちが神の
国を相続することはありません。

聖書(ガラテヤ5:19-21)


もしかすると、私たちの感覚と聖書の基準には開きがあるかもしれません。コリントの教会には何個の派閥がありましたか?四つです。第四の派閥を触れないわけにはいきません。何派ですか?キリスト派です!びっくりしますね。何がダメなのか?

④ キリスト派

大事なのはパウロ先生じゃない、アポロ先生でもない、ペテロ先生でもない!キリストだ!そうだ、俺たちはキリスト派だ!

12 あなたがたはめいめいに、 「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」
「私はキリストにつく」と言っているということです。

聖書(コリント人への手紙第一1:12)


きっと、ここにいる私たちはみんなキリスト派なのですが、この「キリスト派」も、他の三派と同じくパウロにがっつり叱られています。一見、良さそうですが、なぜでしょうか?キリスト派は、もしかすると、次のような人たちだったかもしれないからです。

コリントの教会は、ある者はパウロ、ある者はアポロ、ある者はペテロを掲げて、仲間割れしています。そういう時に、あなた達は何をそんな、人にこだわっているのですか。私は、そんな人間になどつかないで、キリストご自身だけについているのです。パウロもアポロもペテロも、しょせん人は私には問題にならないのです。これだから、人間の集まりはいやになってしまう。私は、キリストだけについているのだから、私には構わないでください。もう、教会に礼拝にも行きません。来週からは家で一人で礼拝します。何か問題でもありますか?


これはこれでまた問題です。なぜかというと、もしも、本当にキリストにつく、と言うのならば、当然、キリストの体である教会を建て上げるために全力を捧げるはずであります。もしも、本当にキリストにつく、と言うのならば、そのキリストが任命した使徒であるペテロやパウロに従うはずであり、キリストが立てた教職者であるアポロを認めるはずであります。そうしないのは、口では「キリストにつく」と言いながら、その実、自分の都合の良いようにしているのであって、本当の福音の意味を履き違えているからです。

さあ、じゃあどうすればいいのでしょうか?本当の福音とは何なのか?その答えは、17節にあります。

17 キリストが私をお遣わしになったのは、 バプテスマを授けさせるためではなく、 福
音を宣べ伝えさせるためです。 それも、 キリストの十字架がむなしくならないために、
ことばの知恵によってはならないのです。

聖書(コリント人への手紙第一1:17)


パウロは自分の使命は、福音を宣べ伝えるためと言いました。つまり、私たちがしなければならないことは、福音を宣べ伝えることだと言ったのです。この「福音」が、このコリントの分派への答えです。そもそも、一致はどこからくるのでしょうか?

一致は、福音からきます。福音とは何か?

イエスキリストの福音とは、一言で言うならば、ひとつになることです。十字架の縦の関係。罪が赦され、神と近くなり、一つとなりました。十字架の横の関係。隣人と赦し合い、一つになりました。

12 そのころのあなたがたは、 キリストから離れ、 イスラエルの国から除外され、 約束
の契約については他国人であり、 この世にあって望みもなく、 神もない人たちでした。
13 しかし、 以前は遠く離れていたあなたがたも、 今ではキリスト・イエスの中にある
ことにより、 キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、 二つのものを一つにし、 隔ての壁を打ちこわ
し、
15 ご自分の肉において、 敵意を廃棄された方です。 敵意とは、 さまざまの規定から成
り立っている戒めの律法なのです。 このことは、 二つのものをご自身において新しいひ
とりの人に造り上げて、 平和を実現するためであり、
16 また、 両者を一つのからだとして、 十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。
17 それからキリストは来られて、 遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、 近くにいた人
たちにも平和を宣べられました。
18 私たちは、 このキリストによって、 両者ともに一つの御霊において、 父のみもとに
近づくことができるのです。
19 こういうわけで、 あなたがたは、 もはや他国人でも寄留者でもなく、 今は聖徒たち
と同じ国民であり、 神の家族なのです。

聖書(エペソ2:12-19)

一致はどこからくるのでしょうか?

神学的な同意からではありません。知恵によってではありません。伝統からではありません。相性によってではありません。

イエス・キリストを信じる信仰により、福音の力によって一致するのです。みなさん、一致は、私たちが作り出すものではないのです。一致とは、キリストがすでに与えられたものなのです。私たちは、信仰によって、一つになったのです!

ですから、キリストによって一つになった私たちは、生き方を通して、福音を宣べ伝えるのです。つまり、神を愛し、隣人を愛することによってです。

11 愛する者たち。 神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、 私たちもま
た互いに愛し合うべきです。
12 いまだかつて、 だれも神を見た者はありません。 もし私たちが互いに愛し合うな
ら、 神は私たちのうちにおられ、 神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

聖書(1ヨハネ 4:11-12)

まとめ

コリントの教会には、分派がありました。もし、私たちがイエス様より、人に左右されているなら、悔い改める必要があります。人を見ている限り、一致はありません。あるのは分派です。一方、キリスト派と言って、人と関わることを避けてもいけません。人を避け、教会と距離を置く行為自体が、一致の福音に反しているからです。私たちはどうでしょうか?

私たちがする行動、態度、言葉、すべてのことが一致に向かっているでしょうか?一致は、イエスキリストの福音によってのみ、現されます。そして、福音とは、イエス様の力によって、愛によって、聖霊によって、神を愛し、隣人を愛することを追い求めていきましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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