「なんであんなことしちゃったんだろう」
「なんでいつも俺はこうなんだろう」
「ああ、自分はなんてダメな人間なんだ」
「やっぱり、俺はいいとことが一つもない」
私たちが失敗をした時、ともすると「自己否定モード」に陥ってしまうことがあります。
そうならないために、まず「ミスや失敗はしてもよい」と認める必要があります。
聖書はどんなに正しい人でも失敗すると言っているからです。
正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。
聖書(箴言24:16)
聖書では、「七」という数字は完全数を意味します。
なので、正しい人でも「七度倒れる」とは、どんな人でも失敗すると言っているのです。
しかし、聖書はそこで終わりません。
「また起き上がり」と失敗から必ず立ち直れると言っているのです。
そのとき、自分を否定する自分の声に耳を傾けてはいけません。
自分を否定するサタンの声にも耳を傾けてはいけません。
あなたを愛し、励まし、起き上がらせてくださる神様の声だけに耳を傾けるのです。
聖書は、「立ち直れない失敗は存在しない」と言っています。
たとえ、死刑に当たる罪を犯しても、イエスキリストの前で自分の罪を認めるならば、赦されると書いています。
「え、マジかよ?」と思いませんか。
「マジなんです」
これが、100%神様の恵みである福音なのです。
罪を認めるとは、誰かに迷惑をかけ、失敗した「自分の非」を認めて、悔いるということです。
本当に自分の失敗を受け入れ、悔いた人の内側には神の霊である聖霊が住まわれるので、神様が喜ばれることを積極的にするようになるのです。
つまり、ミスや失敗は、私たちは神の前で生まれ変わるチャンスでもあるのです。
ミスや失敗を積極的に受け入れて、逆にミスが極端に減った業界があります。
航空業界です。
飛行機には、フライトデータとコクピット内のボイスレコーダーのデータが記録するための「ブラックボックス」が搭載されています。
「どんな事故でも、原因を隠さず究明しよう」という発想、「ミスや失敗をきちんと蓄積して次に生かそう」という意識が他の業界よりも強いのです。
その結果、同じミスや失敗が起こる可能性が減り、安全性が向上しました。
自分の非を認める人は、神様にもっと頼ることができます。
倒れても必要以上に自分を責めません。
むしろ、赦されているもの、聖霊がうちに住んでいるものとして、前よりも力強く進むことができるのです。