資本主義社会の中では、いかに手持ちのお金を増やして、大きな富を築いていくかが大切だと言われています。
では、聖書は私たちが富むことに対して何といっているのでしょうか?
聖書は、「主の祝福がなければ人は、本当の意味で富むことが出来ない」と言っています。人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。
聖書(箴言 10:22)
「人の苦労は何もそれに加えない。」とは、〈苦労〉が全くむなしいという意味で語っているのではなく,主の祝福がなければいかなる苦労もむなしいという意味でです。
祝福の源は神様だからです。
大成功を収めたAppleのスティーブ・ジョブスは最後にこのように言ったようです。
「仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。…人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。もっと大切な何か他のこと。」
スティーブ・ジョブス
もっと大切な何か他のこと。
聖書は、それを神様との祝福された関係だと言っています。
このお方を求めるならば、 神の愛による人生の充実感という本当の富を得ることができるのです。
今日1日、生きていくためには苦労があるでしょう。
しかし、主が私たちの仕事の労苦を祝福してくださるように祈って1日を始めましょう。
今日の祈り
主よ、今日一日、祝福してください。一生懸命したことが虚しくなりませんように。イエス様のみなによってお祈りします。アーメン。
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