次のようなことに思いあたる節はありませんか?
- 他人の期待に「過剰に応えようとしてしまう」ところがある
- 自分と仲よくしてくれる人に「どこか申し訳ない」気持ちを感じている
- 過去に自分がしたことに対して、「後悔していること」がある
- 仕事や恋愛を頑張っているに、報われない
心理カウンセラーの根本裕幸(ねもと ひろゆき)さんによると、これらは罪悪感が心の中にあるときによく起こる反応だそうです。
根本さんは、カウンセラーとして、20年間、たくさんの人に会う中で、いちばん問題になる感情がこの罪悪感であることに気づいたそうです。
聖書は、「キリストを信じたものは、罪悪感を感じる必要はない」と言っています。
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
聖書(ローマ8:1)
この「罪に定められる」という感覚が罪悪感の正体です。
「あなたには「罪」がありますか?」と聞かれれば、いまいちピンと来ない人も多いと思いますが、
先ほどのリストのような反応に気づく時、自分の中に何かしらの罪の意識があることが明らかになります。
どんなに「自分には罪がない」と信じようとしても、罪悪感から解放されることは不可能です。
なぜなら、聖書の通りすべての人間には「罪」があるからです。
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
聖書(ローマ3:23)
「小さな嘘やごまかし、人を傷つける言動」などを罪に含まれるならば、自分は罪がないと言える人はいないのではないでしょうか。
なので、私たちを不幸にする罪悪感を消し去る方法は、罪そのものを処理することしかないのです。
では、どうやって、罪そのものを処理することができるのでしょうか?
それは、私の罪はイエス・キリストが十字架上で代わりに罰せられることによって処理されたということを信じるだけです。
ここで、注意すべきことがあります。
それは、キリストにより罪の問題が処理されたとしても、罪悪感を感じなくなるまでには時間がかかるということです。
染み付いた考えの癖やネガティブ思考が顔を出すことがあるでしょう。
その時に、すべきことは、「宣言」です。
何を宣言するのか?
キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
聖書(ローマ8:1)
キリストを信じたあなたの罪を裁くものは誰もいません。
神様が赦しているからです。
その立場を事実として宣言し続ければ、必ず、罪悪感は消え去ります。
【参考文献】
いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本 単行本(ソフトカバー)根本裕幸(著) – 2019/6/14