ニュースサイトのしらべぇによると、調査対象の6割が「人の目が気になる」と答えたそうです。
職場で周りの目が気になって、ずっと我慢していたり、
恋人や友達からのLINEの反応で感情がアップダウンしたり、
友達とのグループでいる時に仲間の目が気になったりします。
聖書は、人の目を恐れないで、神に信頼しなさいと言っています。
人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。
聖書(箴言29:25)
「人を恐れる」とは、他人の評価を恐れること、つまり「自分がどう思われているのか」を気にしていることです。
人の目を恐れると、罠にかかります。
絶えず他の人の言動に反応し、振り回されてしまうからです。
振り返って、あの時、この時、こうすればよかったかな。しなければよかったかな。と後悔や不安がつきまといます。
人の言葉で、落ち込んだり、いら立ったり、疑いが生じたり、気づいたら喜びを奪われてしまうこともあります。
これらのネガティブな反応は、人に何かを言われたことや、されたことによるものではありません。
その人の目や評価を恐れた時、気になった時に起こります。
もし、友達に送ったLINEの返信が遅かった時、「忙しいのか、たまたまだろう」とほっておけば、心を守ることができます。
でも、「自分のこと嫌いなのかな?」と思い、その人の考えを想像していけば、ネガティブな感情にコントロールされる罠にはまります。
人の目を気になる理由は実は凄くシンプルです。
これらは全て「自分がどう思われているのか」、つまり、「自分のことばかり考えているから」です。
悪い印象を与えたくない、いつでも良い人と見られていたいから、人の目が気になります。
いつも誰からに見られている、監視されているように感じるのは、全ての人が自分に注視していると思い込んでいるからです。
誰にも見られたくない、皆の目の前から姿を消したい気持ちも、同じです。
他人の目が気にならない方法は、自分でも他人でもなく、神様に目を向けることです。
「主に信頼する者は高い所にかくまわれる」とある通りです。
かくまわれるとは、守られるということです。
人の評価や人の目から守られるのです。
しかも、高い所とあるので、人間の努力では到達できない領域です。
「人の目を気にしない方法」とネットで検索しても、ありふれた答えしかありません。
面白かったのが、ある記事では「自分のことを考えるな」とあり、違う記事では「自分のことをもっと考えなさい」とありました。
どっちなんだよと思いましたが、ある意味どっちも正解です。
なぜなら、神様を信頼すれば、神様のことばが基準となります。
神様の基準で言えば、私たち全ての人は、周りの評価に無関係で、神様によって「素晴らしい、尊い存在」として肯定されているからです。
その結果、他人の評価に流されず、神様からの絶対的な評価の上で、自分を労り、自分を愛し、自分に自信を持って生きれるのです。
また、自分に対する神の絶対的な評価を握っている人は、他人に評価してもらうために働いたり、我慢したりしません。
見返りがなくても、神が同じように愛している周りの人を大切に考え、優しくすることが可能になるのです。
人の目を気にしないようにしないでください。もっと、気になります。
神の目を気にしましょう。
神の目を気にするとは、「聖書にある神のことば」を判断基準にして生きていくことです。