あるカウンセラーによると、相談のほとんどが、誰かを許せないことで、解決がとても難しいそうです。
私も自分を傷つけた人を簡単に許せたらどれほど人生が楽かと思います。
では、聖書は赦しについてなんといっているのでしょうか?
聖書は、自分自身が誰かに許してもらう存在であることを認め、人を赦しなさいと言っています。さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。
聖書(ルカの福音書 6章37節)
「不義に定められる」とは、神様の前には全ての人間が、罪人であって、裁かれる存在だということです。
「自分は誰をも傷つけたことがない。」
「自分はいつだって絶対に悪くない」
そのように言い切れる人はいないと思います。
ポイントは、「自分自身も誰かを傷つけているので、許してもらう存在である」ということに気付けるか?ということです。
そうすれば、傷つけられても神の前ではお互い様だと思えるのです。
ある家来が、王様から返済しきれない6兆円の借金を免除してもらいました。
しかし、彼は仲間に貸した100万円が返されてないことに気づき、首を絞めて、「借金を返せ」と言いました。
それを聞いた王様は、この家来を叱って牢屋に入れてしまいました。
これはイエス様の例えですが、私たちもこの家来のように、人には厳しく、自分には甘くなりがちではないでしょうか?
まず、神様に自分の罪が許されていることに感謝し、他の人も同じように許されていることを受け入れましょう。 今日の祈り
主よ、今日一日、私たちを傷つける人や腹が立った時、イエス様の愛でみんな許されていることに目を向け、その人を大きな心で許せますように。イエス様のみなによってお祈りします。アーメン。