「神様愛しています」「あなたを賛美します」「あなたに全てを捧ます」と教会で賛美し、祈ったとしても、
実生活では、神様のことはほとんど考えずに、祈りもせず、捧げるどころかいろんなものを貯め込むのに夢中なクリスチャンもいます。
見えない神を愛すると口で言うのは簡単だからです。
しかし、見えない神を本当に愛しているかどうかがわかるバロメーターがあります。
それは、目に見える隣人を愛しているか?ということです。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
聖書(1ヨハネ 4:20)
ここでの兄弟とは、自分の家族のことを言っているのはありません。
同じ信仰を持ったクリスチャンとも解釈できますが、広く言えば、私たちの周りににる隣人のことです。
この世の愛は、感情的で、条件付きです。
感情がなければ愛ではなく、自分の気に入るところがなければ愛せないと考えられています。
しかし、聖書の愛は、特徴があります。
①感情に左右されず意志に基づく
②無条件で見返りを求めない
③相手よりも先に愛する
考えてみましょう。どうしても愛せない人はいますか?
心で赦せない人はいますか?
神を愛していると言うなら、神がいのちをかけて愛されたすべての人を愛するはずです。
なぜなら、神はあなたの隣人を愛しなさいと命じられ、あなたの敵をも赦しなさいと願われているからです。
しかし、率直に言うと、どんな人でも無条件で愛することは人間の力では絶対に不可能です。
では、私たちは神を愛していないのでしょうか?神を愛することはできないのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
完全な愛は神から来るので、神を愛しているからこそ、神が愛されたすべての人を愛せる愛を求めればいいんです。
隣人を愛することを諦めないでいきましょう。
目に見えない神を愛しているものとして、目に見える人々を熱心に愛する愛を求めましょう。
教会やクリスチャンが、愛し合うことによって、神に対する愛が偽りではないことを世に表すことができます。
職場のあの人。家族や友達。まずは、1人にでも、優しく接し、話を聞いてあげ、祝福を祈りましょう。