ある研究では、心停止後に回復した人のうち、臨死体験について語った人は全体の18パーセントにもなることがわかったそうです。
彼らの見たものの共通点は、穏やかな気分、幽体離脱体験、暗い空間やすき間を通り抜けて移動する感覚、遠くで強烈に輝く光、異界から来た人々とのやり取り、謎めいた別世界への旅などのようです
実は、新約聖書のほとんどを書いたパウロは、天国に引き上げられた経験をしています。
私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
聖書(2コリント12:2)
このような人とは、パウロ自身のことです。
第三者目線で語っていると思われます。
大切なのは、ここから各々の臨死体験が本当だということではありません。
臨死体験と、聖書に記されたパウロの体験は重みも意味合いも全く違います。
ここでのポイントは、聖書がはっきりと天国はあるといっていることです。
彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。
聖書(2コリント12:4)
聖書に「天」という単語は新約聖書だけでも276回出てきており、「第3の天」「パラダイス」「アブラハムのふところ」などと呼ばれます。
一般的に死後にいく「天国」というイメージと、聖書の「天国」の違いは、全ての人が天国に行くわけではないということです。
聖書は人が死んだその瞬間に、その人がイエスキリストを救い主として受け入れていたか否かで私たちは天国と地獄。パラダイスとハデス。どちらかに行きます。
天国に対し、3つの反応が考えられます。
①信じない
聖書にはっきり書かれていますが、私たちには信じない自由があります。
②死ぬ直前に信じる
今は好き勝手生きたいし、クリスチャンってしんどそうなので、後で信じる。
③今信じる
もちろん、おすすめは今、信じることです
なぜなら、聖書の天国は、実は死後の世界だけではなく、信じた時から効力を発揮するものだからです
信じた瞬間、イエス様(聖霊)が心に住われます。
天国は、「神とともに住む場所」であるので、肉体を持ちながらも、神とともに歩む天国のような人生を体験できるのです。
逆に、地獄は、神がいない場所です。
そこには光もなければ、愛もありません。
今日、発想を変えましょう。
死後、天国に行くか行かないかという発想ではなく、
今から、神がともにおられる光と愛に満ちた天国のような人生を歩みたいか?
もし、そう思われるなら、今日、イエス・キリストを信じる決断をしましょう。
その瞬間、キリストはこう言われます。
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
聖書(ルカ23:43)
死後ではありません。今日からです!