ついつい、頑張りすぎて疲れちゃうことありませんか?
完璧主義や燃え尽き症候群という形で現れることもあります。
僕はこのパターンに当てはまります。
「なぜ、そんなに頑張っているのでしょうか?」
頑張ること自体が悪いのではありません。
なぜ、頑張るのかが大事なのです。
頑張りが、人との比較、嫉妬や劣等感から来ているなら、それは今の自分への否定です。
そのままの自分では足りないと考えているからです。
イエス様の12弟子のペテロは、他の弟子よりも、イエス様に認められるために、愛されるために、頑張っていたことがわかります。
すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
聖書(マタイ26:33)
頑張って、イエス様に認められようとしたペテロは、大きな挫折感を味わうことになります。
十字架につけられるためにイエス様が連行された時、彼は恐ろしくなって、「私はイエスなんて男知りません!」と3回否定します。
ここからわかることは、自分の頑張りで神に認められることは無理だとだということです。
いや、むしろ不要であり、神様もそんなことを求めていないということです。
実際、ペテロが裏切ったのにもかかわらず、イエス様はペテロに変わらない愛を持って命じられます。
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
聖書(ヨハネ21:15)
私の羊を飼いなさい。つまり、あなたを信頼し、あなたに私の弟子たちを導くリーダーとしての責任を与えようということです。
あえてペテロに「この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」と聞くことで、人と比較するペテロの弱さを突いています。
私たちも、人と比較する必要はありません。
認められようと頑張る必要もありません。
むしろ、神様がすでに私たちを認めているからこそ、失敗しても変わらずに「私の子羊を飼いなさい」と重要な任務を任せてくださるのです。
神様から任せられた人は、プレッシャーよりも、単純に神様のために働きたい、神様の役に立てることを喜びにするのです。