創造って何?無から有の原理を見失ったらヤバい「あなたという存在の始まりは?」

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はじめに

今日は、聖書の中に書かれている「創造」について解説します。

物事のどんなことにも始まりがあります。仕事の始業時間、プロジェクトの開始。人との出会いもそうです。あなたが「一念発起」をしたら、それもあなたにとっての何かの始まりでしたよね。
実は、その「始まり」には、必ず「なぜその仕事をするのか」や「プロジェクトの意味」等が提示されています。
プロジェクトに目標は必要ですが、それだけではいずれ「やっつけ仕事」になる恐れがあります。逆に「始まり」をしっかりと握り続けたプロジェクトからは必ずクオリティが高いものが生まれ出てきます。
一つのプロジェクトをやり遂げる時、目標と同時に、非常に大切なのは「始まり」が何だったかです。

では、「あなた」という存在の始まりはどんなだったのでしょう。もしくは人生の最終目標へ向かって走っておられるあなたの「始まり」は何だったのでしょうか。

この記事を読めば、聖書が創造について何と言っているかを知ることが出来ます。そして人(あなた)が造られた目的を知ることが出来ます。

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聖書は創造について何と言っているのか。

結論を一言でいうと、 創造は神の栄光の為に神が「人(あなた)を祝福したい」という願いの現れです。 「無から有を」と「一週間」、「目的」という3つの言葉から創造を見ていきます。

無から有を

日本ではさほどではありませんが、進化論か創造論かという議論が世界ではあります。このブログではその議論については触れません。ただ科学の研究は尊いものであり、私達の生活に必要不可欠です。ですので、進化論の研究がさらに進み、また聖書に書かれた真理が聖書学者に神様の助けによりに明らかになると、真実を突き詰めようとするお互いの結論が完全な一致を見るようになります。
そのうえで聖書に書かれた創造の特徴を見ましょう。最初の一つは天地創造の神は「無から有を」創られたということです。

初めに神が天と地を創造された。

聖書(創世記1:1)

人が何かを作り出す時、必ずその人の経験や知識がもとになります。もしくはインスピレーションともいいいます。たとえばクラシック音楽の天才べートーヴェンが「田園」を書いた時は、嵐の音や春の様子が影響を与えたことでしょう。私達の思い付きや、ひらめきも過去の経験からもたらされることが多くありますね。

しかし神は何も無いところから天地万物を創られました。だからこそ「全能なる神」とクリスチャンは聖書の神様のことをあがめるのです。もし神様が他の誰かが用意をした化学材料を使って創造をしていたとしたら、それまるで研究室にいる博士のような滑稽なイメージになってしまいますよね。「必要なものが無ければ作ることができない」人は全能ではなく、有限です。しかし、聖書の全能なる神様は、全ての時の始まりの時、神様以外には何も世に存在していなかい中で、すべてのものを創り出した方なのです。
新約聖書の記者であるヨハネは創造のことを、このように記しています。

すべてのものは、この方(神)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

聖書(ヨハネ1:3)

人には不可能な「無から有を」創り出す方がおられるというのは、私達の「人生」というステージに一つの真実を明らかにします。それは、「人の手には不可能と思えることも、神には不可能なことはない」ということです。

例をあげると、あなたが自分では解決できない問題を抱えておられるとしても、「無から有を」創り出すことができる全能の神にはその問題の解決ができるということです。キリスト教は「ご利益宗教」ではありませんが、神様は私達のことをよく知っておられます。そして私達を愛しておられるので、解決を与えたいと願っておられるのです。神様からの愛を受け取るかどうかは、あなたが手を開いて受け取るかどうかです。

7日間(一週間)

聖書に書かれた創造は7日間にわたってこのような順をおって行われました。(創世記1章)

1日目:光。光を昼、闇を夜と名付けた
2日目:水と大空を分離
3日目:大地と植物
4日目:太陽と月、星
5日目:海の動物
6日目:地の動物、そして人。
7日目:神様は休まれた

このサイクルの大切な点は、①6日間の創造と1日の休み、②最後に人が創られたことです。
現代においても、①は不思議なことに「一週間」というサイクルにおいて続けられていて職場では6日働いて最低1日は休みを取るのは当たり前になっています。なぜなら7日のうち1日は休みがないと人は健康的に続けて働くことができず、疲れ果ててしまうことが研究結果からも明らかだからです。

もちろん、神様が人と同じように疲れたから休まれたとは勘違いをしないでください。神様はまどろむことも、眠ることもありません(詩篇121:4)。神様が休まれたのは休憩ととられたのではなく、神様が最後にお創りになられた人と時を過ごす(人が神様を礼拝する)ことを望まれ、そのことを神様が大切に思われているのです。7日目に神様はあらゆることを置いて完全に人と過ごすことにすべての時間を割かれました。

キリスト教で週に1度、礼拝に出席するよう勧めて理由の一つはこのためです。人間にとっては肉体的な休みであるとともに、創り主である神様との時を過ごす(礼拝する)ことにより、心においても霊においても完全な安息を頂くためなのです。
創造の時から今にいたるまで神様から私達への安息への招きは、たゆむことなく続いています。

目的

創造の目的はここまでくれば察しがつくでしょうか。神様は天地万物をお創りになられましたが、それらは人を創造し祝福する為でした。


27神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
28神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。

聖書(創世記1:27,28)

また祝福すると同時に創世記1:27、28には、海や空、地上、そこに住む動物を神に代わって人に支配させたかった神の計画が示されています。この計画は、神の支配がこの地に完全に及ぶこととイコールです。すなわち神の国がこの地上になることです。

創世記3章において人が神に対して罪を犯した為に打ち壊され、今も放置されているに思えるかもしれませんが、神が永遠に変わることのない方であるのと同じ理由により、神の計画も永遠に変わることはありません。それゆえ、神はこの計画を回復するため神の御子イエス・キリストを送られ、人の罪の贖いを十字架上において成し遂げて下さったのです。
キリストの十字架はいわば、人が創られた時の神の永遠の目的に立ち戻らせて頂く神からのプレゼントなのです。

まとめ

 創造は一言で表すならば、神の栄光の為に神が「人(あなた)を祝福したい」という願いの現れです。 

  1. 無から有を創られる神は、私達の人生において不可能を可能にされる。
  2. 7日間のサイクルは人が神を礼拝する中で平安を与えられるため。
  3. 神様の永遠の計画を人は委ねられている。

参考:「キリスト教教理入門」(いのちのことば社)
   「聖書辞典」(いのちのことば社)
   「創造論① 天地創造」(クリエーション・リサーチ・ジャパン)

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