【人生を変える聖書のメッセージ#39】 王のための祈り「常に勝利の旗を掲げて生きる」詩篇20:1-9

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はじめに

今日の詩篇20編は、ダビデ王が戦いに出る前の日に、シオン山の聖所でいけにえをささげている中で、民が王のために祈った祈りです。
20篇に度々出てくる「あなた」と、6節の「油注がれたもの」は、ダビデ王のことです。

なぜ、イスラエルの民は、戦いの前の日に、ダビデ王のために祈ったのでしょうか?
それは、戦いの勝利をもたらすのはダビデ王ではなく、ダビデ王を通して働かれるイスラエルの真の王主であるということを、イスラエルは知っていたからです。

日本に住む私たちは、戦いと聞くとあまりピンと来ません。
しかし、私たちの日常の生活にこそ、生きるか死ぬかの戦いがあることを知らなくてはいけません。

それは、たましいに対する戦いです。

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

聖書(1ペテロ2:11)

それは、また罪との戦いです。

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

聖書(ヘブル12:4)

その戦いに負けたものは、ヒメナオとアレキサンデルのようにサタンに引き渡されることもあります。

18  私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。
19 ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。 
20 その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。

聖書(1テモテ1:18-20 )

では、イスラエルの民が、戦いに勝利するために祈った祈りは、どのようなものだったのでしょうか?

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民は王のために具体的な三つの祈りをしました。

①主が王のいけにえを受け入れられるように(1-3)

あなたの穀物のささげ物をすべて心に留め、あなたの全焼のいけにえを受け入れてくださいますように。 セラ 

聖書(詩篇20:3)

3節では、王がささげるいけにえが受け入れられることを祈ります。
神が王のいけにえを受け入れるというは、神と王とが正しい関係にあるということです。

イスラエルの歴史を見ると、イスラエルは、主と良い関係の時に勝利し、良くない関係の時に敗北しました。

サムエル記の時代、イスラエルは腐敗していましたが、サムエルが神様との正しい関係をもたらしたので、イスラエルは宿敵ペリシテに勝利しました。
勝利の直前には、「サムエルが全焼のいけにえをささげていた」と書いています。

9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして【主】にささげた。サムエルはイスラエルのために【主】に叫んだ。それで【主】は彼に答えられた。 
10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、【主】はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。

聖書(1サムエル7:9-10)

つまり、勝利は、王が、万軍の主と良い関係である時にもたらされるので、民はそのために祈るのです。

②主が王の願い(祈り)を聞かれるように(4-5)

主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。

聖書(詩篇20:4)

4節で民は、神がダビデ王の祈りを聞かれ、戦いに勝利することを願う祈りをささげます。

「はかりごと」と訳されたヘブル語「エーツァー」は、軍事的戦略や計画を意味します。
王が立てる具体的な軍事的戦略をも、主の御心にかなったものであるように祈っているのです。

つまり、勝利は、王が、万軍の主の計画通り行動した時にもたらされるので、民はそのために祈るのです。

③主が王を救われるように(6-9)

6 今こそ、私は知る。【主】は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。
7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、【主】の御名を誇ろう。

聖書(詩篇20:6-7)

当時の「いくさ車」と「馬」は、戦いにおける大きな軍事力で、イスラエルを囲む国々は、戦いに勝利するためにこれを重視しました。
しかし、イスラエルの民は、戦いでの勝利は、油注がれたものを救う神から来ることを確信していたため、「主の御名」を誇ります。

ダビデこそ、王になる前にこのことを信じ、主の救いを体験した人でした。

この全集団も、【主】が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは【主】の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

聖書(1サムエル17:47 )

その後、ダビデは石ころ一つで、ペリシテ人のゴリアテに勝利しました。

つまり、勝利は、王が、主の救いにより頼む時にもたらされるので、民はそのために祈るのです。

今日の箇所をどのように私たちの人生に適用できるでしょう?

ダビデ王を全て、「私」に入れ替えるとわかりやすいですよね?

①主が私のいけにえを受け入れられるように(1-3)
②主が私の願い(祈り)を聞かれるように(4-5)
③主が私を救われるように(6-9)

しかし、今日のメッセージのポイントは違います。
20編は、個人的な祈りではなく、あくまでイスラエル全体の祈り。王のための祈りだからです。

私たちの王は誰?

では、ここで考えてみたいと思います。

私たちの王は誰でしょうか?

「イエス様」です。

私たちが個人的に勝利を得るのではなく、イエス様を通して私たち全員が勝利を受けます。
しかも、イエス様はダビデ王とは違います。
なぜなら勝利を祈るのではなく、イエス様は、すでに勝利を取っているからです。

5節をもう一度、読んでみましょう。

私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。【主】があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。

聖書(詩篇20:5)

何か、気づくことはありませんか?

「戦う前に、すでに勝利を喜んでいる」ということです。

私たちの人生の戦いもそうです。
戦う前から、勝利は決まっています。
なぜなら、イエス様はすでに勝利を取られたからです!

だからこそ、私たちは旗を高く掲げるのです。

私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。【主】があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。

聖書(詩篇20:5)

「旗」は軍旗を意味し、古代の軍旗は、長いさおに神々のかたちの布を付けたものでした。
イエス様の旗を掲げることは、イエス様の勝利を敵に宣言する信仰の行為です。

イスラエルの祈りは成就している

私たちは、大胆にイエス様の勝利の旗を掲げることができます。
なぜなら、イスラエルの民の王への祈りは、真の王イエス様によって全て成就しているからです。

①主が王のいけにえを受け入れられるように(1-3)→主はイエス様のいけにえを受け入れられた

イエス様がご自身を全焼のいけにえとして十字架で捧げられたことによって、私たちの罪が赦され、神様との正しい関係が回復しました。

もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

聖書(ヘブル人9:26)

②主が王の願い(祈り)を聞かれるように(4-5)→主はイエス様の祈りを受け入れられた

イエス様の祈りは、私たちを救います。

したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

聖書(ヘブル7:25)

③主が王を救われるように(6-9)→主はイエス様をよみがえらせた

神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。

聖書(1コリント 6:14)

まとめ

私たちの日常の生活には、生きるか死ぬかの戦いがあります。

たましいを攻撃する肉の欲との戦い。
罪との戦い。
信仰を失わせようとするサタンの誘惑との戦い。

しかし、今日、主が私たちに語っておられるメッセージは、
「私たちが頑張ってこれらに勝利しましょう!」ではなく、
「イエス様はすでにこれら全てのものに勝利された!」という事実に信仰を持って堅く立つことです。

33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

聖書(ローマ8:33-37)

しかし、私たちは勝利の旗を高く掲げて進むことができます。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

聖書(ローマ8:37)

イエス様が十字架で成就してくださった御業を覚え、勝利の旗を高く掲げましょう!
イエス様の御名を高く掲げるもの。それが圧倒的な勝利者です。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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