仕事をしていると、「こんなことをしてて意味あるのだろうか?」と思うことがあります。
学生でも、主婦でも、毎日、同じことを繰り返し、退屈で「何のために生きているのか」「何のために頑張って働いているんだろう」「自分は何をしたいんだろう」と言う問いが湧き上がることがあります。
実は今日の箇所の預言者エレミヤこそ、「こんなことをしてて意味あるのだろうか?」という人生を過ごした人でした。
エレミヤは、神の言葉を南王国ユダの指導者に語ると言う使命を持っていました。
彼は40年という長い期間、ユダの滅亡を告げ、神の民としての信仰に立ち返るよう、涙ながらに訴えました。
しかし、彼は社会の罪悪に立ち向かったことで迫害を受けて苦しめられ、投獄もされました。
しかも、エレミヤの努力も虚しく結局ユダはバビロニア帝国に滅ぼされます。
神の臨在の象徴である立派な神殿も壊されます。
彼は使命を全うしましたが、望む結果には至らなかったのです。
聖書は、私たちは使命を遂行するが、結果は神のものだと言っています。
見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」
聖書(エレミヤ書1:10)
国々への預言者としてエレミヤがすべきことが6つの言葉で表されています。
これは、2つずつ、3つの組に分けられます。
前の2つの組の「引き抜き」「引き倒し」と、「滅ぼし」「こわし」は、腐ってひびが入った部分を壊して取り除く掃除のようなことです。
確かに、エレミヤは、熱心に不正を弾糾し、神の裁きのメッセージを伝え続けました。
3つ目の組の「建て」「植えさせる」は、回復と救いの働きです。
これは、エレミヤが生きている時代には実現しなかったのです。
しかし、エレミヤには見えない巨大な神のプランがあったのです。
これが、ビジョンとミッションの違いです。
ビジョンは神様が持っておられる理想のゴールです。
神のビジョンは大きな一つの絵です。
そのビジョンを完成するために、私たち一人一人にミッション(使命)が与えられます。
神のビジョンは一人の偉大な人が0から完成させるものではないのです。
一人一人が、与えられたミッション(使命)を人生をかけて遂行するならば、神のビジョンは時を超えて、多くの働き人の人生が蜘蛛の糸のように紡ぎ合わされて完成するのです。
エレミヤの働きは、実を結んだでしょうか?
はい。彼が死んだ後に身を結びました。
600年後、バビロンに滅ぼされたユダ王国から、キリストが生まれました。
エレミヤの警告の預言は、聖書として書き記され、現代を生きる私たちにも語られます。
エレミヤに語られた3つ目の組の「建て」「植えさせる」は、回復と救いの働きが成し遂げられているのです。
全世界で教会が「建てあげられ」「福音が植えられていく」回復と救いの働き。
それは、神の前で悔い改め、キリストを通して救いを受け取ることによって、成就しつつあります。
「自分の人生は何の意味があるのだろう?」
「こんなことをしてて意味あるのだろうか?」
そう思ったとしても、あなたが神の使命に忠実に日々行動していくならば、神の国の大きな絵を描いていることになるのです。
糸を紡いでいることになるのです。
大切なのは、あなたに与えられた使命であり、結果を考えずに、自分の理想を脇に置いて、忠実にそのことを神のために果たしていくことです。