中国の有名な歴史書に「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」という言葉があります。
意味は、「災いと幸福は表裏一体、より合わせた縄のように交互にやって来る」です。
つまり、人生は突如ガラリと変わる意味合いの言葉です。
聖書のモーセという人物はまさに、40年間をエジプトの王子として過ごした後、40年間の荒野での逃亡生活に転落した人です。
しかし、今後はその40年後に、モーセは80歳で200万人ほどのイスラエルの民をエジプトから脱出させる指導者として用いられます。
実は、40歳の時点でモーセには指導者の資質を持っていたことがわかります。
それは、①共感力と②正義感です。
しかし、モーセのこれらの資質は、荒野の40年間での訓練によって磨かれる余地があったのです。
①共感力:共感から同情
モーセは同胞を愛し、その搾取と苦しみに共感できる人に成長した。そして、自分の事のように怒りを感じました。
しかし、彼は、あくまで王子の立場としてイスラエル人を助けようとしたに過ぎません。
彼は、40年間の荒野生活を通して、イスラエルの奴隷としての苦しみを自分も経験することになります。
王子として上から接するのではなく、同じ目線で一緒に苦しむ同情心を身につけたのです。
はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
聖書(ヘブル書11:25)
ここで注意したいのが、カウンセリングの世界では「同情(Sympathy)」よりも「共感(Empathy)」を求められます。
同情とは、主に「不幸な状況」にある相手の感情に同化することであり、共感とは、単に相手の状況を理解し感情を理解することという程度のものです。
真に同情することは困難なため、共感が求められているのだと思います。
しかし、聖書は同情を勧めています。
真の同情は、キリストの十字架のように、自分も同じ苦しみをして可能になります。
②正義感:怒りから忍耐
その後、モーセはミディアンの荒野で羊飼いとして生きることになりました
そこで学んだことは忍耐です。
信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。
聖書(ヘブル書11:27)
羊飼いは、人影のない荒野を巡る、大変な仕事です。彼は40年間も続けたのです。
羊は、よく羊飼いの言うことを聞かずに逃げ出すことがあります。
モーセは迷い出た羊を探しに行っては見つけ出すということを、何度となく繰り返しました。
神様はこの期間を通して、モーセが忍耐して1匹の羊のために労苦できる人へと成長させてくださったのです。
モーセが荒野に逃げたのは、怒りをコントロールできずに殺人を犯したからでした。
どんなに立派な正義感があっても怒りに身を任せていたら、200万人の神の民を導くことなどできません。
そんなモーセに神は荒野で羊を飼わせ、忍耐して仕える者に変えられたのである。
モーセには、①共感力と②正義感が備わっていました。
しかし、神様は荒野という学校で、同情し、忍耐を持って、民を導ける指導者へとモーセを変えられたのです。
私たちにも、生まれつき備られた資質や才能があります。
しかし、神様が、もう少し磨かれる必要あると思われた時、私たちは荒野に導かれます。
失敗を通して、挫折を通して、困難を通して、人生の荒野を経験した時、「こんなはずじゃなかった」と思わないでください。
将来、神様に用いられるための訓練だとしたら、その時間はお金で買えない価値があるのです。