はじめに
今日は、聖書の中に書かれている、「割礼」について解説します。
割礼というのは、生まれてから8日目に男性器の包皮の一部を、取り除くように神様が命じたものです。多くのユダヤ人が今もその命令を守り、聖書でも何度もこの言葉が登場します。日本人には身近な話題ではありませんので、とても神秘的で、不思議な儀式ですよね。そもそも神様は何故、痛みや出血を伴うことを人に行うように命じられたのでしょうか?
この記事を読めば、「割礼」の歴史や意味がわかるようになります。
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聖書は割礼について何と言っているのか。
結論を一言でいうと、 割礼は神様と共に歩む人生を始めた人に施されるしるし ということです。
割礼の始まり
割礼は聖書に関係なく世界の多くの地域でも行われていて、その理由は宗教的儀式、社会的通過儀礼、衛生面など様々です。
例えばコミュニティーの構成員として認められる為にバンジージャンプをしたり、刺青を入れる部族もありますよね。アフリカのある部族では割礼をコミュニティーに認められる証しとして行っています。
一方で聖書では今から約4000年前に神様がアブラハムとの間に結んだ契約のしるしとして、男性器の包皮を切り取るように命じられたことが最初でした。
10次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
聖書(創世記17:10、11)
11あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。
神様は、割礼を施すのは契約を結んだアブラハム本人だけではなく、アブラハムの家にいるすべての男性、奴隷の男にも施すように命じられ、
アブラハムは神様の命令に従い、自分の息子、男の奴隷ら、自分の周りにいるすべての者に割礼を施しました。
割礼を男子全員に施すように命じられたのか不思議ではありませんか?直接の契約はアブラハムであったはずです。
実は、その契約の内容とアブラハムの信仰が大切なのです。
契約の内容
神様がアブラハムと結ばれた契約は「アブラハム契約」と呼ばれ、次の三つのことの祝福が込められています(創世記12章1~3節)。
1.土地の約束
アブラハムは旅人でしたが、土地を永遠の所有として与えると、神様は約束した。
2.子孫の約束
年老いたアブラハムとその妻サラから生まれる子が跡取りとなり、多くの国民の父となる。
3.祝福と贖いの約束
神様はアブラハムとその一族を祝福することを約束した。
またアブラハムを通して他の部族も祝福されると約束した。
この契約は、神様を信じるアブラハムを神様が祝福し、大いなるものする。そして、祝福されたアブラハムを通して、全ての人々をも祝福する、というグローバルで壮大な神様の計画です。
人にとってはあまりにも壮大すぎる内容ですが、まだ目の前には実現していないこの約束を握って、信じたアブラハムは神様と共に歩み、真実な神様もまた彼を豊かに祝福されました。
そして、この契約の内容は、アブラハムだけに終わるものではありません。グローバルで壮大な神様の計画は、聖書の神様を信じるすべての人々、もちろん私たちにも及ぶのです。聖書にこのように書かれています。
ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。
聖書(ガラテヤ3:9)
アブラハムを祝福した同じ神様が、私たちも祝福することを約束されています。この約束をあなたが自分のものとしようとするなら、その始めの一歩は、アブラハムが神様の言葉を聞き従ったように、あなたが聖書の言葉を聞き、神様に信頼することから始まるのです。
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
聖書(ローマ10:17)
割礼を受けないといけないの?
聖書の神様を信じたからといって割礼を受ける必要はありません。
確かにアブラハムを祖先とするユダヤ人にとって割礼は神様との契約のしるしとして、守るべき大事な教えとなり、割礼を思う時、人々は神様への従順を祈るように教えられるのです。
しかし、肉体に施される割礼そのものが大切なのではなく、神様の契約と約束とを自分のものとし、神様を愛し、神様との関係を築いていくことが大切なのです。
さらに言えば、人は自分では神様を見出すことはできないし、神様を愛する力もありません。かえって自分を愛し、自己中心に走る性質を持っています。神様はそのような私たちのことをよくご存じで、こうように言われました。
あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。
聖書(申命記10:16)
あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、主を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。
聖書(申命記30:6)
必要なのは「心の割礼」です。人が本当の意味で「生きる」ようになるのは、あなたの心を閉ざしている、もしくはからめついてどうしようもない、心の皮を切り裂いて頂き、それを脱ぎ捨てて、新しく生まれることによるのです。
そうすることにより、満ち満ちた歩みの第一歩を始めることが出来るのです。
10あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
聖書(コロサイ2:10-11)
11キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。
神様はアブラハムに一方的に契約を示し、無条件で契約を結ばれました。それと同じように、神の御子であるイエス・キリストは一方的に私たちを愛し、自分ではどうすることもできない心を持っている私たちの為に、十字架にかかってくださいました。
キリスト・イエスにある割礼、つまり心の割礼を受ける人に、神様は愛を注ぎ、生きる力を与えてくださるのです。
まとめ
割礼とは、 神様と共に歩む人生を始めた人に施されるしるし ということです。
- 割礼の始まり
→今から約4000年前に神様がアブラハムとの間に結んだ契約のしるし - 契約の内容
1. 土地の約束
2. 子孫の約束
3. 祝福と贖いの約束 - 割礼を受けないといけないの?
→聖書の神様を信じたからといって割礼を受ける必要はありません。
参考:キリスト教教理入門(いのちのことば社)
聖書辞典(いのちのことば社)
ユダヤ教の中のキリスト教(ルース・スペクター・ラセール)
なるほど創世記(小山大三)