「ずっとAだと思っていたけど、実はBだった!」と気づくことを、「目から鱗(うろこ)が落ちる」といいます。
実は、このことわざの由来は聖書にあったのです。
聖書は、目から鱗が取れるとは真理に目が開かれることだと言っています。するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。
聖書(使徒 9:18)
クリスチャンを迫害していたサウロは、復活したイエスに会って失明します。
しかし、アナニアという人に祈ってもらって、彼は再び目が見えるようになったのです。
ここでのポイントは、視力の回復だけではなく「真理に目が開かれた」ということです。
「見えるようになった」のギリシャ語の原語「アナブレプセー」には「正しく理解する」という意味があるからです。
彼は2つのことを正しく理解しました。
①イエスは神である
②神に対して悪いことをした
オランダの画家レンブラントは、『ピラトの法廷』で「イエスを十字架に付けよ」と叫ぶ群衆の一人として自分を描きました。
実際に彼がその場にいた訳ではありません。
自分にも、神を殺すほどの罪深さがあるということを理解していたのです。
「自分は物事を正しく理解している」という考え自体が高慢です。
神の真理に目が開かれると、高慢で怒りに支配される人から、謙遜で自由な人に変えられます。
真理はあなたを自由にすると聖書に書いてあるからです。
今日の祈り
神様、凝り固まった固定概念があるなら取り除いてください。真理を悟り自由にしてください。イエス様のみなによってお祈りします。アーメン。