はじめに
今日は、聖書の中に書かれている、「臨在」について解説します。
ネット社会が急速に広がって、リアルとバーチャルの垣根が驚くほど低くなりました。朝、会社に出社しなくても、特殊なグラスを使えば3次元空間が目の前に現れ、あたかも自分が遠く離れた会社にいるような仮想空間を生み出す技術さえも開発されています。しかし、それはあくまでバーチャルであって、グラスをはずせば、そこにいるのはやはり自分一人になってしまいますよね。神さまという存在もそばにいるような気になることもあれば、まったくそうでないような気持ちになってしまうこともありますよね。
この記事を読めば、聖書に書かれた神さまの臨在がわかるようになり、人生の方向性を見出す方法を知ることが出来ます。
ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた聖書の終末預言シリーズ動画や、日常生活にすぐに適用できる3分の短い聖書のメッセージ動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」「聖書をもっと学んでみたいな」という方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。
聖書は臨在について何と言っているのか
結論を一言でいうと、 臨在は神さまがおられることの証明 です。
臨在はなぜ現わさるのですか?
聖書の神さまが、私たちのそばにいることを示されることが臨在です。
私たちの肉眼で神さまを見ることはできませんが、天地のすべてのお創りになられた聖書の神様は私たちと関係を持ちたいと願っておられるお方です。
主を呼び求める者すべて
聖書(詩篇145:18)
まことをもって主を呼び求める者すべてに
主は近くあられます。
神さまは私たちのそばに、いつでもいたいと願っておられ、私たちの人生の歩みの一歩一歩を顧みてくださる方です。そのために、その証しとして、臨在を現わされました。
臨在はどのように現わされるのですか?
人々が神さまを礼拝する場所に臨在がある
イスラエルの民がエジプトから脱出した後、神様はモーセに造らせた幕屋において民に語りかけられました。民は、幕屋に入った祭司が出てきて神のことばを語るのを待ち続けたのです。
また、幕屋の上には神の臨在としての昼は雲の柱、夜は火の柱が常にあり、イスラエル民族が荒野を旅する時にいつも彼らの前にありました。
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
聖書(出エジプト13:21)
昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。
イエス・キリストの御名によって集まるところに臨在がある
神の臨在がイスラエルの民にとっての道しるべであるように、私たちの人生にも神がともにいてくださいます。神を愛し、イエスキリストの御名を通して神を礼拝する人々がいるところや、時間を、好んで主は臨在を現わしてくださいます。
二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。
聖書(マタイ18:20)
ですので、聖書は教会や神さまを信じる人々がいる場所へ集まることを強く勧めています。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
聖書(ヘブル10:24,25)
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。
教会やクリスチャンの集まりに人が集まるのは、ただ楽しみのためではありません。その真ん中には神さまもともにおられ、神のおられるところには完全な平安があるからです。
神さまの臨在のもとにいることは良いことですか?
神様を知ることができる
イエス・キリストの御名を通して神を完全に知るようになります。新約聖書におさめられた手紙の多くを記したパウロは、こう言っています。
私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
聖書(Ⅰコリント:13:9~12)
完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
人生において勝利がある
イスラエルの王ダビデは神の臨在、また神のみ言葉である、「契約の箱」を自分が治めるイスラエルの都エルサレムの中心に運びこみました。彼の王国が栄えたのは、神の臨在を、王権の中心としたからです。
私たちの人生の中心にも神様をお迎えしましょう。イエスの御名を通して神の臨在が豊かに私たちの人生に現わされます。
人生の方向を示されます
荒野を旅するイスラエルの前には神の臨在を現わす雲の柱、火の柱が常にありました。
行くべき方向や立ち止まり休息をする時か、立ち上がって前進する時かをイスラエルに教えたように、いつも私たちと共にいると言われる神さまが、私たちに人生の方向を教え、休息と歩む力の両方を与えてくださいます。
まとめ
結論を一言でいうと、 臨在は神さまがおられることの証明 です。
1.神は常にイエス・キリストを信じる人々の近くにおられます
2.臨在を通して私たちの人生は正しい方向へ進む
3.臨在により神を知ることになります
参考:聖書辞典(いのちのことば社)
新キリスト教辞典(いのちのことば社)
キリスト教教理入門(いのちのことば社)