自分は他人にどう思われているか、気になることってありますよね。
でも、脳科学者・茂木健一郎さんがいうには、脳科学的にも「自分が思うほど他人は気にしていない」そうです。
聖書は、神様だけが正しく批判できるので、他人の批判は気にするなと言っています。
しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。
聖書(1コリント 4:3)
これは、イエスを神と認めない正統派ユダヤ教から、イエスの伝道者になったパウロの言葉です。
彼は、批判どころか、ムチを打たれたり、裁判で訴えられました。
ツイッターだったら大炎上。家にも嫌がらせが来るレベルです。
僕だったら、人の目を気にして家にこもってしまうでしょう。
しかし、彼はそんな批判は全然気にしないと言います。
私をさばく方は主です。
聖書(1コリント 4:4)
「私を正しく批判できる方は神様だけだ」ということを本気で信じていたからです。
しかも、自分自身の批判もしないと断言しています。
もしかすると、私たちが批判に悩むのは、人の言葉で自分を責めるからかもしれません。
ただ、聖書は、他人の忠告を聞くことも大事だと言っています。
いつも、自分の考えが正しいとは限らないからです。
そのときは、自分でジャッジせずに、神様に祈ることです。
今日、心の中にあるモヤモヤというボールを神様に投げましょう。
今日の祈り
神様、あの人からこう言われました。神様はどう思いますか?もし、私の言動を変える必要があるのでしたら、神様助けてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。