恵みって何?わからないで疲弊するクリスチャン「神のために頑張るは無駄?」

この記事は約6分で読めます。

はじめに

今日は、聖書の中に書かれている、「恵み」について解説します。

聖書を土台としたキリスト教信仰は、「恵みの信仰」といっても間違いありません。日曜日の礼拝メッセージで何度も語られるテーマです。日本語の聖書では少なくとも300回以上使われている言葉です。でも「恵み」という言葉は会社では使うことはなく、学校でも学ぶことがない言葉ですよね。そんな、ふわっとして、とらえずらい言葉ですので、聖書に出てくる「恵み」も「なんだかいいものね」で通り過ぎてしまいますよね。

この記事を読めば、聖書に書かれている「恵み」とは何かがわかるようになり、神さまがどのような方かを知ることで信仰が安定的になります。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた聖書の終末預言シリーズ動画や、日常生活にすぐに適用できる3分の短い聖書のメッセージ動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」「聖書をもっと学んでみたいな」という方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

聖書は恵みについて何と言っているのか

結論を一言でいうと、 恵みとは神さまが一方的、かつ無条件に示される神さまからのプレゼント のことです。

恵みは神さまからのプレゼント

私たちが誰かにプレゼントを渡す理由は、プレゼントの品物を通して、自分と、渡す相手とのそれまでのお互いの関係から生み出された感謝の気持ちや、尊敬の気持ちを、相手に表したいと思うからです。プレゼントの受け渡しまでに何らかの関係を持った人がプレゼントを渡す対象となります。謝罪など、特殊な事情でない限り、もらう側は当然そのプレゼントを受け取る価値がある人がほとんどです。
いわば、それまでのお付き合いに対する報酬の意味合いも含まれています。

しかし、神さまからの恵みは、人が神さまに対して何かをした、そのご褒美として与えられる「報酬」ではありません。

神さまからの恵みとは、プレゼントはプレゼントでも、常に神さまの側からの一方的なもので、受け取る人の側の価値や、神さまと人との関係性、もしくはその人が善良などうか等の状態や評価には決して左右されません。すなわち、神さまからの恵みは、神さまの自由な考えにより、無条件に与えられる、神さまの側から人へのプレゼントです。

神さまは人との関係を回復したいと願っている

多くの人が神さまは、子供に罰を与える、厳格な親のようなイメージを抱いています。
しかし、そのイメージとは全く正反対に、神さまを知らずに人生を歩んでいる私たちのことを、天地万物をお造りになられた神様が、親と子の関係のように、人との関係を回復し、親しくしたいと願っておられます。

すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず…

聖書(Ⅱコリント5:19)

人の努力や善行によっては神との関係は回復されない

聖書は神さまと人との関係回復の道は、人の側の努力や善行によってではなく、神の側から始められたと記しています。

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

聖書(エペソ2:8)

関係回復の働きは、神さまの愛の動機から出たもので、無償で人に与えられるもの(賜物)であって、人の努力や善行によって得ることができるものではありません。

神の恵みによってのみ、神と人との関係は回復される

神さまの愛の動機から出た恵みとは、すなわちキリスト・イエスによる十字架に明確に示されています。聖書にはこう書かれています。

神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

聖書(ローマ3:24)

人は、神さまに逆らい、自分勝手な歩みをして神さまに対して罪を犯しました。その時、神さまと人との間には、決して飛び越えることができない、深く、広い谷が生まれ、断絶されています。

この深い谷を越え、再び、神さまと人が互いに平和的な関係を持つことが出来るようになるためには、罪の為のいけにえによる、人と神様との間の橋渡しが必要です。その橋渡しとなったが、神さまの御子キリスト・イエスによる贖いの十字架です。この贖いの十字架により、イエス様は私たちの身代わりとなられ、ご自身のいのちをもって、罪のためのいけにえとなってくださり、代価を支払われました。

ところが私たちはこの十字架の贖いの為に、すこしも代償を払ってはいません。神さまが一方的に人を愛する愛のゆえに、私たちの代わりに、大きな代価としての神の子イエス・キリストを十字架に架けられました。
一方的な十字架上での贖いの働きこそが神の恵みの最大の現れです。この神の恵みによって私たちは神と和解させられたのです。

神との関係が回復された人の人生は作り替えられる

神さまとの関係の回復の為の恵みは、瞬間だけに働いて終わるものではありません。信仰者のうちに働く神の恵みが、その人の人生を作り変えてゆくのです。

人生を正しく進めるには正しい原動力が必要です。もしそうでなければ、その歩みはすぐに曲がってしまい、正しい方向を見失うでしょう。神さまを信じる人のうちに働く神の恵みは、力強く、尽きることがありません。その恵みは人生に変革をもたらし続ける力となるのです。

聖書記者の中でも多くの書物を記し、当時の人々のみならず、後世のクリスチャンに大きな影響を与えているパウロは自身のことをこのように言いました。

神の恵みによって、私は今の私になりました

聖書(1コリント15:10)

罪の中で死んでいた私たちは、恵みによってキリストと共に生かされるものと変えられ、その歩みの中で、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。

神の恵みは、その人を周りの人への恵みとします

神の恵みは個人への恵みでは終わりません。その人のうちにある恵みはあふれ流れ出て、周りの人に影響を与えるようになります。ある人は、その語る言葉によって人々を導くものとされ、ある人は励ます人とされます。
また聖書の中ではマケドニアにある教会が自らは貧しさの中にあっても、「あふれ出て、その惜しみなく施す富」となったと記されています。(参照Ⅱコリント8:1~9)

まとめ

結論を一言でいうと、 恵みとは神さまが一方的に、無条件に示される神さまからのプレゼント のことです。

1.神の恵みは、神からのプレゼントです
2. 神の恵みによってのみ、神と人との関係は回復される
3.神の恵みは、その人の人生を他の人々への恵みとします


参考:聖書辞典(いのちのことば社)
   神について(J・Iパッカー いのちのことば社)
   新キリスト教辞典(いのちのことば社)

タイトルとURLをコピーしました