はじめに
今日は、悪口をしない方法についてとお話しします。
大前提として聖書は私たちが悪口を言わないことは非常に難しいといっています。
なぜなら、それは心から出るからです。
心に満ちていることを口が話すのです。
聖書(マタイ12:34)
悪意や怒りは突然生まれるものではなく、
- 特に、誰かから悪口を言われた時。
- 腹が立つことを聞いた時。
- 自分のプライドが傷ついた時。
そんな時に、感情として溢れるのです。
なので、論理的にはダメだとわかっていても、無意識レベルで言ってしまうのが悪口です。
私たちは、自分が思っている以上に、無意識で悪口を口にしているからです。
「この記事を見ると、悪口を言われて腹が立った時でも、悪口を言わないようにする実践的な方法がわかります」」
これから何回かに分けて「聖書が教える誹謗中傷」について取り上げていこうと思っています。
どうすれば、悪口をしないようにできるのか?
① 人ではなく神にすべて吐き出す(ピリピ4:6-7)
詩篇を読むと、イスラエルの王ダビデのとんでもない祈りが書いています。
1-2 権力をふるう高慢なおまえたち政治家に、 正義ということばの意味がわかるのか。 おまえたちのうち、 公平のかけらでも持ち合わせている者がいるのか。 おまえたちの取り引きは不正だらけで、 わいろと引き替えに「正義」を売り渡している。
詩篇58(リビングバイブル訳)
3 こんな者たちは生まれながらの罪人で、 最初に覚えたのがうそをつくことなのです。
4-5 彼らは毒蛇のように口に毒を含み、熟練した蛇使いの声にさえ耳をふさぐ蛇のようです。
6 ああ神よ、彼らの牙を折り、若いライオンの歯のようなその歯を引き抜いてください。
7 乾ききった地に吸い込まれる水のように、影も形もなくしてください。 彼らの手の武器を、へし折ってください。
8 塩をかけられて溶けるなめくじのように、日の光を知らない死産の子のようにしてください。
9 神は、老いも若きもいっしょに掃き捨て、 あっという間に滅ぼされます。
どんな印象を受けましたか?
実際、ダビデは悪口言いまくり、裁きまくりです。
しかし、彼は人にではなく、神に祈りました。
これが、私たちが学ぶべき姿勢です。
ダビデは、審判者である神に裁きや復讐を委ねました。
神様はダビデの悪口を捌きませんでした。
10 神を敬う人は、ついには正義が勝つのを見て喜び、殺された悪者どもの血のしたたる野原を歩きます。
詩篇58(リビングバイブル訳)
11 こうして、地上には公平にさばく神がおられ、善人に必ず報いてくださることが、だれの目にも明らかになるのです。
なぜなら、彼は人ではなく、神様に吐き出したからです。
そして、彼は謙遜な思いでそれをしたからです。
② 本人に一対一で忠告する(マタイ18:15)
神様に祈っても、悶々とするなら、一対一で話しましょう。
愛を持って忠告することは悪口ではありません。
愛のない誹謗中傷と愛のある批判の違いはここです。
なのでSNSという不特定多数で批判をすることはあまり意味がありません。
一対一で会うか、難しければ電話。最悪メッセージです。
心理学的にはマイナスのことを話すときは、実際に会うのがベストです。
会うのなんんて面倒だとという人は、伝えずにスルーするのが良いのです。
みんなの前での忠告は本人はそのつもりがなくても、
「俺の忠告はすごい!」とか「こいつは間違っている」ということを誰かに認めてもらいたいと映ってしまいます。
マタイには、誰かが自分に罪を犯した場合の対処法が書いていますが、これは忠告にも応用できます。
また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。
聖書(マタイ18:15)
聖書も一対一を勧めているのです。
- 一対一で話してもラチが開かない時。
- 一対一で話すことが難しい時。
そんな時、誰でもいいというわけではありません。
③ 教会の指導者に相談する(マタイ18:16-17)
教会の牧師などのリーダーに相談するべきです。
16 もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。
聖書(マタイ18:15-17)
17 それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
ちなみに、なぜ、教会の指導者なのか?という理由は、彼らには「言葉に対する」重い責任があるからです。
1 私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。
聖書(ヤコブ 3:1-2)
2 私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。
教会に行っていない人は、口が堅く、信頼できる人に相談しましょう。
大切なことは、「親友」と言うくくりで相談するのではなく、相手が信仰的にも、人格的にも成熟しているかどうかです。
まとめ
どうすれば、悪口をしないようにできるのか?
- 人ではなく神にすべて吐き出す(ピリピ4:6-7)
- 本人に一対一で忠告する(マタイ18:15)
- 教会の指導者に相談する(マタイ18:16-17)
一対一で神様の前に出ることを習慣にすることをお勧めします。
人に言う前に、神に話す。
それが祈りです。
そうすれば、傷が癒されたり、逆に自分の過ちを悟ったり、神様が良い方向へ導いいてくださいます。
何より、私たちはみな、罪人であって、十字架の前に出なければいけない存在です。
悪口を言われたイエス様は私たちに同情してくださいます。
私たちが同じように悪口を言って、イエスキリストを十字架にかけることがないように、この十字架を受け入れ、立ち上がりましょう。
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