はじめに
今日は、批判と悪口の違いについてお話しします。
歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ(27)さんは、プロレスラーの木村さんが亡くなった23日にTwitterを更新。
《誹謗中傷を気にするななんて難しいよ。芸能人だって1人の人間だよ忘れないで》と嘆きました。
しかしそんなきゃりーさんのつぶやきに、今度は検察庁法案改正に対して抗議したことを非難するリプライが殺到しました。
《じゃあ、政治家はなんですか?? 政治家への誹謗中傷は良くて、芸能人はダメと(笑)おかしな感覚をお持ちですね》
《被害者ぶるのは、よろしく無いですよ。政治家の人達も、一人の人間ですよ》
この件は、批判と誹謗中傷の違いをごちゃ混ぜにした人の書き込みが原因です。
きゃりーさんの政府の方針に対する一国民としての批判と、きゃりーさんに対する「潰すぞ」と言う誹謗中傷の違いがわかっていません。
私たちも思いますよね。
誹謗中傷が悪いのはもちろんわかるけど、批判はいいんじゃないか?
「この記事を見ると、批判と悪口の違いがわかります」
今日は三つのポイントで批判と悪口についてお話しします。
①批判と悪口の違いは?
②批判する時に気を付けること
③批判が必要な3つの時
批判と悪口の違いは?
一言で言うと、相手の人格を攻撃しているかどうかです。
日本語学者の飯間浩明さんによると、
「誹謗中傷というのは、ひとことで言うと人格攻撃なんです。一方、批判というのは、相手の発言や行動が適切でないことを述べるものです。相手の人格とは関係がありません」
と説明されていました。
なるほど、とてもわかりやすいですね。
しかし、人格を否定しないからと言って、すべての批判が有益であると勘違いしてはいけません。
人格を否定しない誹謗中傷も存在するからです。
どう言うことか?
それは、第2回で取り上げた3種類の悪口の二番目と三番目です。
A. 罵倒(マタイ522)
これは、人格否定です。
B. 微妙な嘘(士師記19-21)
C. 悪意ある事実(2サムエル15:3-4)
しかし、この二つは、人格を否定しなくても、相手を傷つけることができます。
してもいない嘘を言いふらされたら、人格攻撃でなくても悪口になります。
事実のことであっても、悪意を持って言いふらされたら、人格攻撃でなくても悪口になります。
なので、批判と悪口の違いを定義するよりも、相手への愛があるかないかを考えた方が、もっと重要です。
批判する時に気を付けること
それは、相手への愛があるかないかです。
しかし、同時にすべてのことを愛を持って行いなさいとも書いています。
一切のことを、愛をもって行いなさい。
聖書(1コリント13:4-7)
そして、愛とはもっと具体的な行動に落とし込めます。
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
聖書(1コリント13:4-7)
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。
7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
ここまでの愛を持って、相手を批判できればベストですね。
具体的に考えるために、愛を、相手への配慮と言い換えた方が、良いかもしれません。
例えば、先ほどの3種類の悪口で説明するなら、A. 罵倒については、言うまでもありませんが、
B. 微妙な嘘
愛があれば、まず相手に一対一で真意を確かめます。
C. 悪意ある事実
相手が嫌だと言えば、それ以上あえて言う必要はありません。
愛の配慮のポイントは、「相手がどう思うか」を考えること、そして態度や言い方にあらわすことです。
聖書も、愛のある行動をこのようにも定義しています。
人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。
聖書(ルカ6:31)
批判が必要な3つの時
では、逆に批判が必要な時はどのような時でしょうか?
3つの場合を考えてみましょう。
A. 政治家などのパブリックな存在の場合
政治に関する議論の中で、「政府の今回の政策は、これこれの部分に問題がある」というのは健全な批判です。
「○○大臣の答弁は過去の答弁と矛盾している」というのも批判です。
政治家は批判覚悟で立候補しているわけですし、健全な批判がなければ、独裁を生みかねません。
しかし、ここでも相手も人間であることを考慮する必要はあると思います。
政治家の人格に関わる部分に攻撃をしてしまうと、誹謗中傷になります。
そして、一番のおすすめは、政治家のために祈ることです。
聖書は政治家のために祈りなさいとも言っているからです。
政治家のために祈る3分メッセージもアップしていますので、そちらもぜひご覧ください。
B. 被害にあっている場合
批判は冷静に行うのが理想ですが、感情的になるのもやむをえない場合があります。
それは、自分や自分の関係者が足を踏まれている(被害に遭っている)場合です。
先ほどの、日本語学者の飯間浩明さんによると、
足を踏まれた側が「やめろ!」と強い調子で批判したとき、相手が「その言い方はきつい。そんな言い方じゃ聞く気にならないよ」と、発言者の言い方(トーン)を非難することがあります。
いわゆる「トーンポリシング」です。
そう言われると、足を踏まれた側は発言を封じられてしまいます。
現在困っている人が「こんなことをされている」と思い切って声を上げるとき、それが強い言葉になるのは当然のことです。
聖書もちゃんと、被害に対して声をあげることは大事だと言っています。
しかし、こちらも順序を重要視しています。
マタイ18:15-17に書いています。
15 また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。
聖書(マタイ18:15-17)
16 もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。
17 それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
詳しくは、前回のパート3をご覧ください。
C. 相手から求められた場合
私自身、信頼できる人からアドバイスが欲しい時、批判的な意見も含めて聞く場合があります。
2月に出版した本を出す前も一番時間をかけたのが、他の牧師たちからの神学的なアドバイスです。
ただ、経験上、批判的なアドバイスが好きなの人ははほぼいません。
アドバイスが必要なのは、相手がアドバイスをくださいとリクエストした時だけです。
みなさんもありませんか?
頼んでもいないのに、アドバイスくれる人。
「あなたは〇〇だね」と決めつけてくる人。
常に誰かを批判している人。
あまり一緒にいたくないでしょう?
なので、「相手が求めるとき以外は正論であっても批判はしない」
これも愛の配慮であって、すべての批判が良い結果を生むわけではないと言うことです。
まとめ
①批判と悪口の違いは?
一言で言うと、相手の人格を攻撃しているかどうかです。
②批判する時に気を付けること
しかし、相手の人格を攻撃しない批判が、悪口になる場合もあります。
なので、批判と悪口の違いを定義するよりも、相手への愛があるかないかを考えた方が、もっと重要です。
③批判が必要な3つの時
逆に批判が必要な時はどう言う時でしょうか?
3つの場合を考えてみましょう。
A. 政治家などのパブリックな存在の場合
B. 被害にあっている場合
C. 相手から求められた場合
全体的に、聖書は愛を持って相手と接することが一番大切だと言っています。
批判に限らず、常に相手への愛の配慮を持ったコミュニケーションを心がけていきましょう。
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