反社会的行動と聞くと、暴力団のような反社会的勢力を連想させます。
Wikipediaによると、反社会的勢力とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称であるとあります。
しかし、聖書が定義する「反社会的行動」はもっと厳しく、誰もがしてしまうくらい身近なものです。
なぜなら、聖書は人間関係、つまり「社会の和」をとても大事にしており、犯罪かどうかという基準ではなく、神の目からみて「他の人に優しくしているか」という基準にあるからです。
今日は、聖書が定義する5つの「反社会的行動」をお話しします。
①人を中傷する
しもべのことを、その主人に中傷してはならない。そうでないと、彼はあなたをののしり、あなたは罰を受けることになる。
聖書(箴言30:10)
最近話題のネットでの悪口も、「反社会的行動」です。
中傷とは、「他の人について嘘を語ることを意味します。
たかが、悪口だろ?みんなやってるじゃんと思いますか?
しかし、聖書は、悪口を持って他人を中傷するものはのろいを受け、神の義によって罰せられると書いてあります。
②両親を敬わない
自分の父をののしり、自分の母をたたえない世代。
聖書(箴言30:11)
これは単なる倫理ではなく、創造秩序です。
僕も思春期には母に「うるせーくそバ◯ア」と言っていました。
しかし、聖書は両親に逆らう者を死をもって罰するよう命じています。
聖書の基準で言えば、僕は死刑です。
③偽善
自分をきよいと見るが、汚物を洗い落とさない世代。
聖書(箴言30:12)
見た目はきよいふりをしても、内面は悪で汚された者の偽善に対して警告しています。
④傲慢
なんとも、その目が高ぶり、まぶたが上がっている世代。
聖書(箴言30:13)
傲慢は、神の御前だけでなく、社会においても、秩序を破壊する危険なものです。
⑤いじめ
歯が剣のようで、牙が刀のような世代。彼らは、地の苦しむ者を、人々の中の貧しい者を食い尽くす。
聖書(箴言30:14)
特に貧しい者を抑圧する者に対する警告です。
どうでしょうか?
「反社会的行動」というと、少なくても自分は大丈夫。
暴力団とか、そういう人でしょ?って思いますが、聖書はかなり厳しく、これらの普通にやってしまっている行動を戒めていることがわかります。
古代の社会では、奴隸であっても、力のない 年老いた両親であっても、尊重すべきだと教えられていました。
それは、神が見ておられるということをみんな信じていたからです。
昔は、どの神が本物か?ということが論点でしたが、現代では神がいるかいないかが論点に変わっています。
神がいない社会は、法律や常識、それぞれの相対的な基準が、行動の良し悪しを決めます。
しかし、神が見ておられるなら、私たちは、小さな行動にも気をつける必要があるのです。
しかし、私たち全ての人が、先程の5つのことをしたことがあるということを知っています。
神の目にはみんな反社会的な行動をし、誰かを傷つけ、迷惑をかけてきたのです。
誰もが社会をよくしようとどこかで思い、世界平和を望んでいます。
しかし、現実は、いまだにどこかで紛争や戦争が起こり、世界の10億人が飢餓で苦しみ、殺人事件が起こっています。
つまり、人間だけで理想の素晴らしい社会を作ることは無理だということです。
しかし、一人一人が、神に目を向けるならどうでしょう?
「ごめんなさい」「助けてください」「平和を作って下さい」そのような祈りが積まれていくなら、世界はよくなります。
まずは、私たちから意識を天に向けて生活しましょう。