当時、東京大大学院教授にして東大病院の救急部・集中治療部部長だった矢作直樹さんは、著書のなかで、このように言いました。
寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています
矢作さんは、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象をたくさん経験するなかでそのような結論に至ったと言います。
聖書は、人は死後、魂は生き続け、天国か地獄に行くといっています。
まず、第一に、矢作さんのいうとおり、聖書も肉体と霊魂を分けています。
土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。
聖書(伝道者の書12:7)
聖書によると人間の肉体は土のちりによって作られたとあります。
神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
聖書(創世記2:7)
実際、人体を構成している元素は、すべて「土」の中に含まれているそうです。
確かに肉体はやがて腐敗していき、土に変えるというのは理解できます。
では、霊魂はどこに行くのでしょうか?
先ほどの箇所には、「霊はこれを与えた神に帰る」とあります。
神に帰るとは、みんな天国に行くということではありません。
「神の前に立つ」ということです。
肉体が与えられていた人生をどう生きたか、神の前で申し開き(弁明)をするということです。
彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。
聖書(1ペテロ4:5)
聖書は、この裁きの結果、はっきりと2つの道があることを示しています。
いわゆる天国と地獄です。
正確に言えば、パラダイスとハデス。
私たちはどうでしょう?
天国に行けるという確信があるでしょうか?
もし、このことが本当だとしたら?
実は、確信を持つ方法があります。
それが、イエス・キリストの福音なのです。
このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。
聖書(1ペテロ4:6)
私たちは自分の肉体の命がいつ終わるか予想できません。
しかし、今、行き先を予約することができるのです。
それは、イエス様が言われるように、ただキリストを信じることです。
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
聖書(ヨハネ11:25)