「仕事でのイライラを引きずって、家族に当たってしまった」「むかつく人がいて友達に何時間も愚痴ってしまった」など、抑えられない「怒り」に悩んでいる人は多いのでないでしょうか。
私も妻と喧嘩した時に、よくスイッチが入って怒りが爆発してしまう自分に悩んでいます。
コントロール出来たら、どれだけいいかと思う「怒り」ですが、これから聖書は「怒り」についてなんと言っているのかについて、シリーズで見ていきたいと思います。
今日は、そもそも、怒りは罪なのかということです。結論を一言で言うと、
聖書は、すべての怒りが罪だとはいえないが、怒りは罪を犯しやすくすると言っています。
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。
聖書(エペソ4:26)
「怒っても、罪を犯してはなりません」という言葉から、聖書は怒りと罪を分けて考えていることがわかります。
「怒っても」という原語のギリシャ語は、「衝撃、刺激」という意味を持っています。
つまり、ここでの怒りとは、瞬間的な反応のことです。
「怒り」という反応自体は、必ずしも悪いことではありません。
聖書を読んでいたら、イエス様も怒っているシーンが出てきます。
しかし、神ではない私たちの場合、怒りが罪と結びついている場合がほとんどです。
怒りの原因が、憎しみや自分の不完全な正義なら、その怒り自体が罪です。
ここでは、たとえ「怒っても」と私たちが正しくない動機で怒ってしまう弱さがあることを許容した上で、罪を犯しちゃダメだと言っているのです。
瞬間的に「カッと」なることは誰にでもあるでしょう。
しかし、その後の態度や対応が大事であり、怒りを増大させ、他人を罵倒したり、陰口を言ったり、憎しみを持ち続けるなど罪を犯してはならないと言っているのです。
今日の箇所では、もし「カッと」なったら、どうすればいいのか?と言う答えも書いています。
「憤ったままで日が暮れるようであってはいけません」
創世記で「夕があり朝があった」とあるように聖書は、1日の始まりを「日が暮れる」時としています。
つまり、怒っても翌日に持ち越すなと言う意味です。
私たちに適用するなら、寝る前に、神様の前で憎しみを吐き出し、怒りの原因が罪なら反省し、相手を赦す祈りをして寝ることです。
これからは、その日の怒りは、その日に祈って対処していきましょう。