怒りは私たちの大事な時間をムダにし、大切な人を傷つけてしまうこともあります。
できれば、イライラとは無縁の生活を送りたい。
でも、わかっていてもできないから、厄介ですよね。
前回に引き続き、怒りの対処法を3つ紹介します。
2つ目は「感謝する」ことです。
そのために、聖書は、「相手ではなく、自分が与えられて恵みを覚えなさい」と言っています。
どういうことかというと、イエスキリストのぶどう園でアルバイトをする人のたとえ話を見ればわかりやすいです。
夕方から働いた人にも、みんなに日給1デナリが支払われると、現代でいうと1万円くらいですが、朝早くから仕事をしていた人が怒りました。
『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
聖書(マタイ20:12)
この朝から働いた労働者は、
① 朝から働いた自分は、1万円は当然もらえるべき
② 夕方から働いた人は、自分よりも少ない額であるべき
と自分の基準で相手の行動を判断していました。
しかし、よく考えてみると、これらを決めるのは雇い主です。
しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。
聖書(マタイ20:13)
私が、何か悪いことをしたのか?
あなたには日給1万円で契約したはずです。
他の人の給料はあなたに関係ありません。
ここで、キリストが教えたいポイントは何でしょうか?
それは、相手が「〜するべき」よりも、自分が受け取っている恵みにだけ目を留めることです。
事実、この人は、仕事が与えられ、給料が与えられ、それだけ見れば感謝です。
しかし、誰かと比較したとたん、怒りが恵みを忘れさせてしまうのです。
「当たり前だと思っていたこと」に目を向けるなら、実はイライラすることがかなり勘違いだということが分かるのです。
・問題の多い家族だけど、家族がいるだけで感謝
・会社に嫌な上司がいるけど、働く場所があるだけ感謝
どうでしょう?
イライラした時、当たり前のことに感謝を意識して向けるようにしましょう。