怒りには2つの原因があります。
一つ目は、本来分かってほしい感情である『一次感情』です。
もう一つは、こうあってほしいという期待や理想である『〜べき』という思い込みです。
キリストの有名な「放蕩息子」の話に出てくる兄もまた「一次感情」という燃料に「~であるべき」が着火して怒った例です。
すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。
聖書(ルカ 15:28)
① 放蕩息子の兄の一次感情
・父親が弟をもっと愛しているという寂しさ
・父親に今までの頑張りを評価されていない悲しさ
ヒントは、「家に入ろうともしなかった」というフレーズです。
これは、父親に対して向けられた怒りです。
② 放蕩息子の兄の「〜であるべき」
・父親は弟の放蕩を厳しく叱るべき
・父親は兄の忍耐を褒めるべき
放蕩して帰って来た弟への怒りよりは、それを叱りもせず喜んで迎えた父親に対する怒りが伝わってきます。
29 しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。
聖書(ルカ 15:29-30)
30 それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。』
当時、子牛は100万円以上の価値があったので、弟に車をプレゼントしたようなものです。
でも事実、父親は兄を愛していないわけではないのです。
父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。
聖書(ルカ 15:31)
「私はいつもあなたと一緒にいて、何一つ不自由なかっただろう」
「子牛どころか、私の財産はあなたに全部あげるつもりなんだよ」
とお父さんはすごいことを言っています。
問題は、弟との比較で父親の愛を計ったということです。
人と比べて「自分は愛されているか」と考えるなら、非常に不安定です。
聖書には不公平や差別のない絶対的な愛がはっきりと書かれています。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
聖書(イザヤ43:4)
兄は、お父さんが言ったように、すでに与えられている事実に目を向ける必要があったのです。