「つい食べ過ぎてしまう」
「だらだらと休日を過ごしてしまう」
「仕事後に飲みすぎてしまう」
誰もがやめたい悪習慣があると思います。
聖書は、どうやったら悪習慣をやめることができるといっているのでしょうか?
聖書は「キリストを受け入れるなら、悪習慣を止めることができる」と言っています。神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。
聖書(1ヨハネ 3:9)
「罪を犯しません」とは、罪を全く犯さなくなるという意味ではありません。
ギリシャ語の原語を見ると現在時制が使われていて、「習慣的に犯し続けることはしない」という意味です。
悪習慣と罪は関係があるのでしょうか?
あります。
悪習慣は「罪悪感」を生みます。
罪悪感は、次の2つのとき作動するように神が人に組み込んだ警報器です。
- 神様がしなさいということをしないとき。
- 神様がしてはいけないということをするとき。
冒頭の悪習慣は、聖書が罪と言っている「怠惰」や「酩酊」につながります。
では、どうすればいいのでしょうか?
神の種であるイエス・キリストの福音を心に受け入れることで、罪の根を取り除くのです。イエス様は全人類の罪を十字架上で背負い死なれ、復活により罪を完全に処理されました。
そのことを受け入れるのです。
今日の祈り
イエス様の十字架の力が私のうちにあることを信じます。悪習慣をやめることができるように助けてください。イエス様のみなによってお祈りします。アーメン。