今回は、死ぬ直前に信じればいいのではないですか?「今信じるメリットある?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年のこうきさんが、ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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今日の質問は、「信じれば天国へ行けるなら、死ぬ直前に信じればいいじゃないですか?」という質問です。
本当にそうですよね、好きなだけ遊んで、好きなだけ自由にして、そして死ぬ直前に信じる。最後、全部罪が帳消しになるから、それでいいじゃないかと。
こうきさん、どう思いますか?
一見、それで良さそうに思ってしまいます。
僕は、信じることは、自分で選ぶ、選んだものなのかな、神さまのタイミングだなって思っていて。自分の中ではそれが、一番スッキリした答えかな。
結局、直前に救われた人も、そうじゃない人も、それがタイミングと言えばそうなんで、それがベストかもしれないですけど…
でも、そこには自分の自由意志があるんですよね。
結論を言うと、僕が思うのは「死ぬ直前で信じるのもいいけど、もったいないですよ」ってことです。
それもいいけど、もったいない!
いいんですよ、結果的に信じようと思っているのも。
ただ、どうでしょう、信仰告白する間もなく死んでしまったら。
死ぬタイミングが自分でわかるでしょうか? 誰かが、死ぬ前にカウントダウンしてくれればいいけれど。
僕が、なぜもったいないと言うのか? 3つ、理由をお話ししたいと思います。
1つ目は、今の人生で神さまとの関係を、深められるというメリットがあります。
今信じるメリット ①神さまとの関係性が深まる
天国に持っていけるものは、お金でもなく、経験でもないです。
「関係」です。
神さまや、他の人との関係が永遠に続きます。
なので、今の人生で多くの人を愛し、関係を築くならば、天国でも永遠にその関係が続きます。
僕とこうきさんは、天国でも会うんです。だから、今この世でも仲良くしてた方がいいんです。
もちろん、天国には罪がないので、恨みつらみとかは全くないと思います。
逆に、この世でのお金・仕事・名声は、天国で一切無駄です。
神さまを信じずに過ごすことは、いずれ無駄なものになるこの世の浪費された時間となります。
特に、「神さまとの関係」が一番大切です。
2つ目は、リワードという考え方、「報い」です。
今信じるメリット ②報い、リワードがある
神さまの御国のために働くならば、天で報いがある、リワードが与えられると聖書に書いてあるんです。
この質問者の方は、信じれば永遠の命が与えられ、天国に行けるという、切符のことにしか目が行っていないように思います。
人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。
聖書(マタイの福音書 16章27節)
行いも大事だし、その行いも神から来ますけども、報いがあると。
だからこの世で一生懸命、神のために動く、人のために、愛するために、教会のために、神の御国のためにっていう人は、天国で宝が積まれています。
だとしたら、20歳で死んでも、何十歳で死んでも、どう神の前で生きたか、というのが永遠に続くので、そっちのために今、この人生を使った方がいいと思っています。
だからと言って、この世で神さまのために、給料の99%注ぐとか、時間も全部注いでボロボロの状態になることがいいことではありません。
私たちがボロボロになることを神さまは望んでないですから。
献金で言えば、よく10分の1献金って言うじゃないですか。
逆に、10分の9は自由にできるんですよ。
だから、クリスチャンになっても結構自由に生きてるじゃないですか、私たちは。
罪じゃなければ、神様の赦しの中で自由さもあるんです。
快楽や欲求も、神さまが与えています。欲求がないと、鬱になりますからね。
例えば、仕事をしたいとか、人に認められたいと思うことも、自然な欲求です。
それが行き過ぎると、罪に繋がるので、バランスが大切です。そのためにも信仰が必要ですよね。
リワードに関しても、神さまから報いを受けるっていう「期待」があるわけです。
それを貪欲の罪だって言われたら、神さまに期待もしちゃいけないの?と、辛くなりますよね。
聖書には次のように書かれています。
だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
聖書(コリント人への手紙 第一 3章12〜13節)
その日というのは、最後の審判のことです。
最後の審判は、火とともに現れ、火がそれぞれの働きがどのようなものかを試すと。
だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
聖書(コリント人への手紙 第一 3章14〜15節)
書いてありますね、「報い」と。
そして後半、 ”誰かの建てた建物で焼ければ、その人は損害を受けますがその人自身は火の中をくぐり助かります” というのは、神さまのために生きていなかった人は、家は建っているんですが、火であぶられ、神の目から見たら何も残らない。
神さまのためにやっている人、神が報いがある家を建てる人は、火であぶられても残っています、それが報いです。
クリスチャンにも2通りの人がいます。
神さまのために生き、リワードがある人。
一方で、色々な所で色々なものを自分で作って、一見すごい名声とかもあるんだけど、天国に行ったら、その人は損害受けますが、その人自身は火の中をくぐるように助かる。
つまり、丸焦げの自分しかいない、みたいなことです。命は助かるけど、何も残らないということ。もったいないですよね、そういう人は。
3つ目は、今の人生の使命が見つかるという考え方です。
今信じるメリット ③人生の使命が見つかる
この世でやるべきことが、私たちにはたくさんあるんです。
信じるタイミングが、早くても遅くても、神さまの時があるのでいいんですが、早くクリスチャンになっている人は、祝福だと僕は思います。
あなたの家族や周りの人は、あなたを通してでしか、神さまの愛を知ることができない。
こうきさんの奥さんや子どもは、神さまがこうきさんに任せられているんです。
死の直前に後悔すること、というのが5つあります。これはネットの記事から引用です。
①もっと自分らしく生きれば良かった
②あんなにがむしゃらに働かなくてもよかった
③言いたいことはっきりと言えばよかった
④もっと友だちと連絡を取ればよかった
⑤もっと自分の幸せを追求すればよかった
聖書的なんですよね、全部。
自分を大事にして、神さまと人を愛することができれば、この死ぬ直前の後悔は違ったものになるということです。
なので、自分らしく生きるためには、作り主から人生の目的と自分らしさを教えてもらうのが大切です。
早く神さまを知れば、自分がわかって、人生の目的が分かる。
仕事も楽しくなるし、目的が分かるということです。
もっと自分らしく生きれば良かったという人は、人生の目的と自分らしさを神さまから知ることができます。
がむしゃらに働かなければよかったっていう人は、関係を無視して仕事に没頭したのかもしれません。
働く意味や目的も分からず、仕事と家庭のバランスが崩れていたかもしれませんね。
言いたいことが言えないというのは、自己肯定感が低い、嫌われたくないことが原因かもしれません。
友だちと連絡が取れなかったのは、人間関係の大切が分からなかったのかもしれません。
聖書には、結局愛が残ると書かれています。
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
聖書(コリント人への手紙 第一 13章13節)
信仰・希望・愛が残る。一番大切なのは、その中でも愛です。
でも、仕事や他のことで忙しかったんでしょうね。
もっと自分の幸せを追求すれば良かったという人は、そもそも自分の幸せって何だったんだろう?って、死ぬ直前でも分からないものなんですね。
でも、聖書には書いてます。本当の幸せは何か? 神さまとの関係です。
なので、死ぬ直前に信じることは、もったいないかなっていうのが僕の考えです。
どうですか?ここまで話を聞いてみて。
確かにそうだなと感じました。
僕がクリスチャンになって良かったと思うのは、特に「使命」についてです。
何で生きているのか、何に命を使うのか、何が幸せなのかっていうことが、明確になったことが幸せです。
神さまを信じるまでは、明確じゃなかったですね。
明確になれば、より日々の生き方も明確になって、その軸があって、それを突き進めていけます。
極論、明日死んでしまうとしても、後悔がゼロとは言わないですが「自分が何のために生きてたのか分からない」とは思わないはずです。
僕自身がそう感じて生きているので、信じると決断するチャンスがあるんだったら、早く神さまと出会った方がいいと思います。
ただ、早いからすごいとか、遅いからだめだとかということではなくて、神さまの良きタイミングはあるのかなと思うので、どちらにしても恵み深いな、と思います。
そうですね。多分、死ぬ直前に信じようという人は、信じることが天国への切符だけしか捉えられてないのかな?と思います。
実は天国って、聖書には神の国とも言われてますが、神の国というのは死後の世界だけじゃなくて、実は信じた時から始まる。
この今生きている世界が、神の国になっていくみたいなメッセージもあるんですね。
信じた時から、神の国(天国)がスタートする
実はクリスチャンって、ずっと来世のことを考えてる人じゃなくて、今からこの目に見えている地上で、神の国の文化があらわされていくように、という非常に現実的な視点も持っています。
つまり、今も天国、みたいなことです。
信じて生きていることで、神の支配が広がっていく、そんなイメージです。
だからこうきさんが信じたら、こうきさんの家庭、職場が変わっていくんです。
神の国の文化になる、愛と尊敬の文化になっていく。それはワクワクすることですよね。
それをミッションとして考えると、手段は仕事かもしれないし、ボランティアかもしれないし、分からないですけど、手段はいっぱいあっていいと思います。
使命としてそれを取り組んでいれば、誰にでもできるし、もう今から動きたくなる。
そして自分が死んだら、誰かにその使命をバトンタッチしていく。
そうですね。僕は特に、仕事を通して神の国を広めていく使命を感じています。
信仰を持ちながらこの世界を生きていくことは、本当にいいなと思います。
まとめ
Q .死ぬ直前に信じればいいのではないですか?「今信じるメリットある?」
A .死ぬ直前で信じるのもいいけど、もったいないです。今信じるメリットが3つあります。
①神さまとの関係が深まる ②報い、リワードがある ③人生の使命が見つかる
そして、信じた時から、天国がスタートします。
ぜひ、信じることを先延ばしにせずに、神さまと一緒に使命を持って今を生きることを選択して欲しいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。