あなたは今、幸せでしょうか?
自分は幸せだと言い切れるならば、その幸せはどこから来るのでしょうか?
もし、幸せだと言えないならば、どうやったら幸せを掴むことができるのでしょうか?
聖書は、神が人生を導いてくれるので、乏しいことはなくなると言っています。
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
聖書(詩篇23:1)
これは、クリスチャンの中で、もっとも有名で人気のある聖書の箇所です。
この詩を書いたダビデは聖書の中でもっとも有名な人物のひとりとして知られています。
イスラエルの王であり、百戦錬磨の有能な戦士、そして素晴らしい信仰者でした。
この詩を読むならば、ダビデの人生はとても幸せに見えます。
彼は「私は乏しいことがない」と宣言しているからです。
私たちも、もしダビデのように、王としての地位やお金があれば、恵まれた環境があれば、幸せに違いないと考えるかもしれません。
素晴らしい能力や才能があれば、良い外見があれば、頭が良くなれば、何かがあれば、きっと幸せになるに違いない!と考えるかもしれません。
しかし、力強く宣言するダビデとは裏腹に、当時のダビデの人生は決して恵まれたものではありませんでした。
あまり知られていませんが、ダビデは王になる前は10年間も荒野を放浪していました。
荒野には、水も食べ物もなく、乏しいものだらけです。
住む場所もなく、オアシスを求めて、移動し続けるのです。
しかし、彼の欠乏は、物質的なものだけではありません。
そもそも、彼が10年間も荒野をさまよった理由は、当時のイスラエルの王であるサウル王に命を狙われていたからです。
ダビデが悪いことをしたわけではなく、ダビデがあまりにも民に人気があったため、妬まれ、殺されそうになったのです。
現代で言えば、上司に嫉妬され会社をクビになり、ホームレスになった男。
町を歩けば、指をさされ、日本中の人からネットで中傷され、信頼していた親友にも裏切られた男。
それが、ダビデなのです。
つまり、彼は「乏しいことがありまくり」の状況で、「乏しいことがありません」と言っているのです。
なぜ、ダビデはそのように宣言することができたのか?
それは彼が「神がともにいることが一番の幸せである」ということを人生を通じて体験したからでした。
最初の言葉に注目しましょう。
主は私の羊飼い。(だから)私は乏しいことがありません。
聖書(詩篇23:1)
本当の幸せとは、たとえ、私たちの周りの環境が最悪であっても、羊飼いなる主がともにおられるから幸せだ心から言えることです。
あなたは今何にストレスを感じているでしょうか?
あなたを最も落ち込ませているものは何でしょうか?
あなたは幸せを得ようと追いかけているでしょうか?
それとも、いつ今の幸せが自分から去っていかないか不安になってはいないでしょうか?
たとえ、あなたがどん底にいても、羊飼いである神はあなたを愛し、労り、励まし、必要を満たしてくれるのです。