聖書の中には、神から特別の使命を与えられ、その使命を果たすように招かれた人びとが描かれています。
それを召命と言います。
モーセは、80歳で神の声を聞いて「エジプトからイスラエルの民を救い出す」という特別の使命を与えられました。
これを「召命」と言います。
「召命」には二つの特徴があることがわかります。
今日は一つ目、「命令」について説明します。
今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」
聖書(出エジプト記3:10)
行け、私が遣わすので、導き出せ。
神様は、モーセに「忙しいと思うんだけど、ちょっと見てくれる?」とか「恐れ入りますが、行ってもらえませんか?」とは言いませんでした。
最近は、特に命令口調を嫌う人が増えているので、部下に気を遣う上司はかなり気を遣って部下に仕事を振ります。
それはいいとしても、神は私たちの部下でもないし、同格ではありえません。
神は神です。
私たちと比較できないほど、偉大なお方です。
私たち人間に必要なのは、「はい」という歯切れの良い返事と、その後に続く行動です。
なぜ、神に従わないと行けないのか?と思うでしょうか?
本来は、理由は必要ありません。
命令する相手が「神だから」です。
なぜ、私たちは誰かに命令されるのが嫌なのでしょう?
ある専門家によれば、劣等感を持っている人ほど、反発しやすいそうです。
「ここをこうすればいいからね」と上司に言われた時、「それくらいわかる!なんでそんな初心者扱いされなきゃいけないんだ!」と思ってしまうのは、自分が蔑まれたと自分で解釈するからです。
単純に「お前にコントロールされてたまるか」と反発する人も、相手に従ったら、自分が下になると勘違いしていることなのです。
劣等感は優越感を持つことで一時的に解消されるので、誰かが上に立つような行動が嫌なのです。
中には、「これお願いね」と頼んでも喜んで手伝ってくれる人もいます。
そういう人は、「命令された!」とすら思っていません。
むしろ、上司に「これ頼むぞ」と言われて「自分のこと信頼してくれてるんだな」とポジティブに受け取る人もいます。
先ほど、命令する相手が「神だから」命令を従うんだと言い切りました。
これに対する違和感があるなら、神がどういう方かに対して、歪んだイメージがある可能性があります。
神は、私たちを奴隷のように支配するために、命令するのでしょうか?いいえ。むしろ、神がモーセに命令した目的は、モーセを含むイスラエルを奴隷から解放するためでした。
神は、私たちの上に立って優越感を得たいから、命令するのでしょうか?いいえ。むしろ、出エジプトから約1500年後には、神が人となり人間の中でも最悪な罪人に落ちて十字架にかかられました。神に劣等感はありません。
私たちは、むしろ、このような愛に満ち、素晴らしく偉大なお方から、命令されたら、むしろ喜ぶべきではないでしょうか?
あなたを信頼し、あなたを選んだのです。
「モーセ、私があなたを選んだのだ」と。
劣等感ではなく、神の愛をたっぷり受けている人は、神からの命令はむしろ喜び、光栄なことだということです。
神に任せてもらったという喜びによって、神に「はい、喜んで!」と従えるのです。