よく質問を受けるのが、「召し」はどうやったらわかるのかということです。
「召し」とは、神様が持っておられる「人生の使命」を神様から受け取ることです。
どうやったらわかるのかに対する決まった答えはありません。
心の中にそのような「思い」がふと湧き上がったり、心から離れないことがサインかもしれません。
直接声を聞く人もいます。もちろん、周りの人たちのアドバイスも召しの裏付けになります。
しかし、今日の箇所には、召しには特徴があることがわかります。
18 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
聖書(マタイ4:18-19)
19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
ここから三つの召しの特徴をお話しします。
①神に呼ばれる
「わたしについて来なさい」とは、生涯をかけてキリストの弟子になることです。
ユダヤ教では弟子が自分が学びを受けたいラビ(聖書学者)を選びます。
しかし、イエスさまは逆に自ら弟子たちを選びました。
召しは、英語で「コーリング」と言います。
まさに、呼ばれることなのです。
例えば、牧師になるためには、牧師の「召し」をしっかり受け止めていなければいけません。
神の働きは、自分が選ぶことではないのです。
神に呼ばれる、召し出されるということが重要です。
それがなければ、重荷に押しつぶされるか、間違った実を結んでしまいます。
②目的がある
「人間をとる漁師」とは、直訳すると「人々を救う漁師」という意味になります。
これは、いわゆる福音宣教の働きです。
のちにイエス様は、神の国の宣教を網にもたとえます。
また、天の御国は、海に投げ入れてあらゆる種類の魚を集める網のようなものです。
聖書(マタイ13:47)
福音の働きの目的は、人を通して世のものを得ることではなく、人のいのちを救うことなのです。
③約束が伴う
人間をとる漁師に「してあげよう」は、未来時制です。
あなた方の将来は魚を獲ることではなく、人々を救いに導くことだと神が約束されたのです。
宣教の働きと神様の目的を達成するには、神の約束が不可欠です。
人を救うのは、私たち人間には不可能だからです。
ここまで、三つの召しの特徴を見てきましたが、全ての人にペテロとアンデレのような特別な「召し」を受けることが必要なのでしょうか?
自分はよくわからないと感じる方が大半なのではないでしょうか?
実は、「人間を獲る漁師」という福音宣教の召しは、復活されたイエスさまが語った「大宣教命令」を通して、全てのクリスチャンがすでに受け取っている「召し」です。
19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
聖書(マタイ28:19-20)
20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
私たちは
聖書を通して①神に呼ばれ、②目的を知っています。宣教の働きを可能にする③約束の聖霊も与えられています。
どのようにこの「召し」が成し遂げられるかという手段については、祈りつつ神様の思いを受け取る必要があるでしょう。
しかし、福音宣教の「召し」はすでにあなたにあります。
今、必要なのは決断です。
あなたは神の召しに応答し、イエス様についていきますか?