牧師ってどうやってなるの?「神学校を出ればなれますか?」

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今回は、牧師ってどうやってなるの?「神学校を出ればなれますか?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。

このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年の筆者みずきがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。

この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

今回の質問は何でしょうか?

みずき
みずき

前回は「牧師って何をする人?」という質問についてお話ししました。(前回の記事もぜひ読んでみてください!)
では、実際牧師ってどうやってなるのか?という疑問です。

牧師ってどうやってなるの?

みずき
みずき

神学校に行かないと牧師にはなれないのか? そういった学校を卒業していなくてもなれるのか? というところをお聞きしたいです。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

結論から言うと召されたらなります

みずき
みずき

召される…!?どういうことですか?

召されたらなります

ゆうき牧師
ゆうき牧師

召しがないと、牧師になるのは無理ということです。
「召し」というのは、神様からのコーリングです。神様に呼ばれることなんですよね。

つまり、自分がどんなになりたいと思っていても、神様が「あなたは牧師じゃなくてこの道だよ」と言われたら、なりたくても無理です。
そこは、牧師とそれ以外を比べる必要はなくて、その人にはその人の生き方があるので、その生き方に忠実でなければなりません。

聖書には、神様は私たちが生まれる前から使命を定めている、と言っています。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
聖書(エレミヤ書 1章5節)

ゆうき牧師
ゆうき牧師

預言者エレミヤは、生まれる前から預言者として定められていた。これを「召されていた」と、クリスチャン用語で言います

これは、自分の意志や努力とは違うんです。もし無理やり、牧師に憧れてとか、自分は牧師になるんだと思い込んでなった場合、燃え尽きます。
そのように自分の思いでなろうとした場合、力がない、人がついてこない、実が結ばれない、ということもあります。

ゆうき牧師に与えられた召し

ゆうき牧師
ゆうき牧師

私自身の召しは何かというと、大学生の時に強烈な聖霊を体験をして、もともとクリスチャンホームで育ったんですが、人生が180度変わる経験をしました。

とにかく最初は、日本のリバイバルのためにという思いが神様から与えられました。リバイバルのことを祈ると涙が出るんです。「日本のリバイバルのために」って、熱い思いが溢れ出てくるので、そのために私は人生を捧げるという決断をしました。それで自分は「日本のリバイバルのために召されている」という確信がありました。

3年間、祈ってみてまずは社会に出て仕事をするのが導きだと思ったので、銀行に就職し3年間働きました。でも、3年目で「辞めなさい」と神様から語られて辞めました。そこでフルタイムの献身者になろうと決めました。

この時点では、「宣教師なのかな?」と思っていました。海外志向があったんですよね、留学も行っていたし。色々な国に行って、色々なクリスチャンと会うのも好きだし、色々なところに旅行するのもワクワクするし、外交的な性格もあると思ったので、宣教師がいいなと。
あとは宣教師の方には申し訳ないんですけども、牧師の方が責任が多い、大変そうっていう部分で、避けていた部分がありましたね。

牧師って、教会の中でいいことして当たり前。
ちょっと失敗したり、自分のマイナス面、弱さを見せると叩かれたりとか、何もしてなくても叩かれたりとか、陰口言われたりとか…制限も多そうだし、矢面に立ちやすい立場ですよね。
また、日本の教会の特徴なんですが、牧師に結構いろんなことを求めちゃうんです。みんなが牧師にやってほしい、牧師は全部やってくれて当たり前みたいな、そんなイメージだと思っていました。

ある先生は本当に夜中の12時過ぎても電話に出るんですよね。その人はその召しがあればいいじゃないですか。でも、私は無理だと思ったんです。
絶対無理、倒れる、もたない、そんな愛もない…
牧師になれるような愛が、自分にはないなと思って、それでなりたくないなと思っていました。

しかし、その後神学校に行って、へブル書の11章24~25節の箇所が迫ってきて、涙を流しながら「牧師になります」と神様に言いました。

信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
聖書(へブル人への手紙 11章24〜25節)

ゆうき牧師
ゆうき牧師

モーセの召しは、民とともに苦しむという召しだったんです。
私が、牧師になりたくない理由は「苦しみたくない」ということでした。でも神様が「いや、苦しむことが召しだ」と言われた気がしました。

でも、嬉しかったんです。自分の中で、分かっいてるんだけども認めたくなかった部分を、神様から弓矢でスパーンって刺されたような。「はい!」って感じだった。

なぜかと言うと、その時ユースのリーダーとかをやっていて、12時以降電話に出たくないとさっきは言ったけど、実際やってるのを楽しんでいる自分もいたんですよね。
神の愛によって、その人の人生に尽くしていくとか、時間をかけるとか、3時間4時間その人の話聞くとか、ご飯食べるとか、結構好きなんです、もともと。
今は忙しくてできてない部分もあるんですけどね。

最終的に、神様から「牧師だよ」と言われて、牧師になりました。
私は、もともと嫌だって言っていたけれども神様から示されて、牧師になりました。今では、やっぱり自分は牧師の召しがあるなと思っています。

人それぞれに召しがある

ゆうき牧師
ゆうき牧師

神様からのこういうストーリーとか、召しの証、言葉ではっきりと言える証がないと、なるのは難しいかなと思います。

僕は、牧師以外の方々を尊敬してます。
僕も銀行員を経験したので、社会に出て働くことは本当に大変なことです。みずきさんで言えば看護師、フリーランスはフリーランスで大変だし、アルバイトはアルバイトで大変です。
だから、そこに優劣はないんです。それぞれの場所で召されているんですよね。

牧師の責任

ゆうき牧師
ゆうき牧師

ただし、牧師の場合は霊的な責任を負うので、独特の、矢面に立つ感覚があります。そして神様の言葉を代弁する立場でもあるんです。間違ったことを教えたとき、間違ったことをしたときの責任は大きいと思います。

なので、神学校に行ってしっかりと訓練を受けたり、教会の中で先輩の牧師から厳しい訓練を受けたりするというのは、僕は、あった方がいいと思います。

実際は、神学校に行かなくても牧師になれます。聖書に書いてないからです。学位や資格ではなく、召しです。
でも、僕は神学校に行くことを強くおすすめします。訓練を受けない者は人を訓練できないと、ある先輩の牧師が言っていました。

按手について

ゆうき牧師
ゆうき牧師

前回のお話で出てきた「按手」の意味についてですが、基本的には自分から牧師なりたい、召しがあるからって言うのであれば、先輩の牧師たちから見た時に客観的に「この人は牧師だ」と周りの人が思う必要はあると思うんです。それが按手です。

自分がなりたいと言って、神様からこう語られましたと30分語っても、周りの牧師たちが祈ったうえで「牧師じゃないと思う」と考えるとしたら、多分違うんです。

牧師の先輩や教団の先生たちが、「この人は牧師だ」と思い、その責任をもって先輩たちも祈って按手するんです。
「この人の召しは牧師だと、私も信じます。神様の教会を導く権威と、力が与えられますように」という按手です。

基本的には、周りの先生や教会に対して公にすることなので、バプテスマとちょっと似てるかもしれないですね。

インパテーションについて

ゆうき牧師
ゆうき牧師

また、「インパテーション」というのは、教理とか教団によって考え方は違うので、信じていない人もいると思います。

誰かの上に按手して祈ったときに、霊的な賜物とか聖霊の賜物がその人に分与される、与えられるという意味の言葉で、それを信じている教団教派もあります。

まとめ

Q .牧師ってどうやってなるの?「神学校を出ればなれますか?」
A .神様からの明確な召しがあればなれます。
 進学校を出たら自動的になれるような、学位や資格によってなれるものではありません。しかし、牧師になりたい人は進学校で訓練を受けることを強くおすすめします。


最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。

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